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経営をどう考えるか

4月19日(日)

今晩放送されたNHKスペシャル『マネー資本主義』をご覧になったでしょうか。
面白かったですね。
これから全5回シリーズで、月1回の放送予定のようですので、ぜひご覧ください。
今日見逃した方は再放送もするでしょうし、NHKオンデマンドで見れるようです。

第1回目の今夜は、
「暴走はなぜ止められなかったのか」
~アメリカ投資銀行の興亡~

1980年代から米国では、それまで市場の仲介役を専門に行っていた投資銀行(日本で言えば証券会社)が、自己勘定のもとに自分たちで商品(モーゲージ債券)を作って販売して巨額の利益を上げていった様子がわかりやすく番組で紹介されていきました。
そしてそれがなぜ破綻していったのかも。

1980年代の米国投資銀行の主役は、ソロモン・ブラザーズ。

そう、私が働いていたところです。
私が入社した1987年はまさにソロモン・ブラザーズの絶頂期。
番組では、当時のトップ、「ウォール街の帝王」と呼ばれたジョン・グッドフレンド氏がインタビューに答えていました。
まだ現役なんですね。驚きました。

そして、「ザ・ルーム」と呼ばれた巨大トレーディングフロアーの映像も。
1988年の5ヶ月間、毎日研修でウロウロしていた場所だったので懐かしかったです・・・。

許されれば極限までリスクを追ってしまう。
音楽が続く限り踊りを止めない。
そして稼ぐトレーダー(日本で言えばディーラー)の巨額ボーナス。
すべての人が、リスク管理よりも利回りを考えている。

まさにウォール街の強欲さ。

もちろん、おかしい、止めようと思った人もいるでしょうが、ほとんどの人が踊り狂っていましたから、行くところまで行くしかなかったんでしょうか。

私もおかしいと思って辞めたひとりですが、破綻によって世界全体に与えた損傷は恐ろしいほどです。

本来、金融は脇役。

まさにこれからの世界ではそうあってほしいものです。

でもまたまた最近、米国の金融機関は時価会計しなくていいことを逆手に、黒字を出して株価を吊り上げて増資をして、公的資金を返済してボーナスをもらうことを考えている様子。

本当に懲りない人たちです・・・。


さて、前置きが長くなりましたが、今日は「経営をどう考えるのか」をテーマにしたいと思います。

この週末、6月からの新年度における経営品質協議会・人材育成プログラムのインストラクター研修が東京で開催されたので参加してきました。

6月からも昨年までと同様に下記コースが用意されています。
「革新の基礎コース」(1日)
「評価の基礎コース」(週1の3日間)
「セルフ・アセスメントコース」(連続3日間)

「革新の基礎コース」の開発担当である岡本正耿先生からの講義があったのですが、この内容を少しどうしても紹介したくて書いていきたいと思います。
(実は、聞いたことを真に理解するには、早めに人に話したり、書いたりするのが効果的)

それは「経営をどう考えるのか」について。

世界では、キリストが生まれる前と生まれてからが大きく違うように、経営の世界でも大きな転換点があると言われています。

それが、「ドラッカーの前と後

ドラッカーの前は、経営の考え方もデカルトの世界観でした。

デカルトの世界観は、「全体は部分の総和である
方法論としては、「移項可能」で「合理的実証」と「蓋然性計算」ができる。
そこから導かれるのは、
「結果の哲学」・「量の論理」・「量的変化の計算」・「妥協と折衷」

それに対してドラッカーは、
全体と部分を成立させるものは目的とプロセスである

方法論は、「移項不可能」であり、「経験的実証」と「可能性計算」による。
つまり、「目的の哲学」・「質の論理」・「質的変化の計算」・「両極性の弁証法」

ただ、いまだにデカルト的な世界観で経営を教えたり(MBAなど)、考えたりしている人たちが多いのが現状のようです。
米国の金融界などはまさにそうなのではないかと思いますね。

岡本先生の説明を続けると、
『ドラッカーの「新しい世界観」は、「全体」に対して「体系」を、「因果律」に対して「目的」「形態」「類型(パターン)」「プロセス」という考え方を重視するものである。
とりわけゲシュタルトという概念は、ドラッカーのものの考え方の基本に関わる重要な概念である。ゲシュタルトの意味は、ものごとを「どこからどこへ」あるいは「なぜそうなるのか」という因果関係としてとらえず、「現姿態」としてとらえることを前提としている。ゲシュタルトでは全体は部分の総和ではない。部分は全体を考えることによってのみ把握あるいは知覚できるものと考える。
「経営」という概念もゲシュタルト的な「全体」としてとらえなければならない。ドラッカーが部分分割的な伝統的管理ではなく、「目標による経営」を主張する理由もここにある。』

ドラッカーによる大きな変化とは、
1.機械的世界観から生命論的世界観に
2.要素還元主義から全包括主義に
3.自他分離主義から自他非分離主義に

経営は、部門や業務の総和ではなく、意識としての「全体」である。

会社というものは物理的な実態ではなく、意思による心理的な有り様である。

ですからドラッカーは、経営における人の重要性を強く訴えているんですね。

なので、経営が良くなるとか、会社が良くなるというのは、そこにいる人、ひとりひとりが気づきによって(意識が変わり)成長するところから始まっていくと考えていくべきであって、どんな仕組みがあるというのは後の話になります。

気づきによる成長と自立。

組織・会社、経営を良くしていこうという変革者への一歩を誰かが歩み始めない限り、目に見えるものを変えたとしても、何も変わりません。

6月以降、今年は3つのコースの講師をやることもあると思いますが、特に「革新の基礎コース」が楽しみですね。

変革者と言えば、今回の講義の最後に岡本先生が紹介してくれた、有名な『行かなかった道』も紹介します。

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  『行かなかった道』  ロバート・フロスト  駒村利夫 訳

  黄ばんだ森の中で道がふたつに分かれていた。
  口惜しいが、私はひとりの旅人、両方の道を行くことはできない。
  長く立ち止まって目のとどく限りを見渡すと、ひとつの道は下生えの中に曲がり込んでいた。

  そこで私はもう一方の道を選んだ。
  同じように美しく、草が深くて、踏みごたえがあるのでずっとましだと思われたのだ。
  もっともその点は、そこにも通った跡があり、実際は同じ程度に踏みならされていたが。

  そして、あの朝は、両方とも同じようにまだ踏みしだかれぬ落ち葉の中に埋まっていたのだ。
  そうだ、最初眺めた道はまたの日のためにと取っておいたのだ!
  だが、道が道にと通じることはわかってはいても、再び戻ってくるかどうかは心許なかった。

  今から何年も何年もあと、どこかで溜息まじりに私はこう話すだろう。
  森の中で道がふたつに分かれていて、私は・・・、
  私は通る人の少ない道を選んだのだったが、それがすべてを変えたのだ、と。

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金融破たんからの世界恐慌の今、やはり一人ひとりの善なる一歩からしか世界は良くならないと思います。

確かに、1980年代以降の米国金融界も、新しいことに挑戦し続けたと言ってもおかしくありません。
でも最も大切なことは、新しいことに挑戦することよりも、「何のために」それを行うのか。
目的が大切です。
そして目先だけを考えるのではなく、遠きをはかる(将来を考える)こと。

何度も同じ過ちを繰り返すのはやめましょう。

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2009年04月19日 23:25に投稿されたエントリーのページです。

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