大逆転のリーダーシップ理論 / 2001年7月

大逆転のリーダーシップ理論
藤原 直哉 氏

 みなさん、こんにちは。藤原でございます。今日は本当にお暑い中、ありがとうございます。
今ご紹介がありましたが、代表幹事の鬼澤君を以前から知っていたので、水戸で勉強会をやってくれないかということで1998年に最初に水戸に参りました。最初に来た日は風邪をひいていて、ガラガラ声でほとんど声が出なかったのですが、「実はこれからキャッシュカードで買い物ができる時代が来る」と、今で言うデビッドカードの話などをしました。それから4年目になります。本当に早いものだなと思います。
時代が変わっていく中で、その時代の変化に目をつぶり、耳を閉ざすことは簡単なのですが、少し勇気が出てくると、目を開き、耳を開くといろいろなものが見え、聞こえてくるのです。それは最初、非常におそろしいことなのです。
最初そうやって勉強会をやりながら、実はこんなことが起きているのだとお話ししてきました。そうこうしているうちに、具体的に何をすればいいのだろう。世の中こんなに変化している。それはよく分かった。具体的にどうすれば自分も会社も良くなるのだろうか。そういう声が出てきました。
そういう時に、実は日本経営品質賞というのがある。これをやってみたらいいのではないでしょうかというようなご提案をしました。そこで鬼澤君が協議会の方々といろいろお話しをされ、末松先生に来ていただいて、こうしてみなさんが取り組んでおられる様子を見ると、たった3年ですがものすごく実りある3年だったという気がしています。

<通用しない20世紀のリーダーシップ>
森首相が出た頃から、リーダーシップとは何ぞやというようなことが盛んに言われるわけです。選挙の時に政治の話も何ですが、同じ自民党なのにリーダーが違うと支持率9%と支持率86パーセント。これは会社だったら潰れるか、駅前に店を建て替えて出すかの大きな違いです。会社は同じなのです。ある社長がやっていたら支持率8%でもう潰れるかと言われて、社長が交代したら支持率86%。お客さんがみんなやってきてしまうというような状況なのです。今の時代、いかにリーダーというものがすごいものなのか。みなさんもそういうことは常々お感じだろうと思います。
私も当然リーダーという言葉をいろいろな所で聞いていました。元々サラリーマン生活から始まったのですが、世の中のいちばん嫌いなものの1つが人事部の人たちだったのです。実は私はこの人事という言葉が非常に昔から嫌いだったのです。リーダーシップとかいうことを言われると、「またあのおやじの言うことを聞かなければいけないのか」と。要するに私の昔の発想では、昔と言ってもまだ41歳なのですが、私が最初社会人になって大企業に入った頃というのは、リーダーシップと言われれば「お前は黙って人の言うことを聞け」というような意味だったのです。ですからそういうことを人事から言われると、「またうっとうとしいことを言って・・・」とよく思ったものです。
しかし私自身もいろいろな経験をしました。日本の会社、古い会社、役所、それからアメリカの会社、それから自分でいろいろやるようになっています。昭和の時代がそのままずっと続いていたのであったら、何も今リーダーシップということをわざわざ言わなくてもあまり問題は起こらなかったと思うのです。
しかし昭和の時代が終った後、時代が急激に変わりました。これを乗り越えるためには何をしなければいけないのかと考えていったときに、いろいろやることはあるのですが、いちばん肝心要の部分はリーダーシップなのではないかということに最近気付いてきたのです。

例えば今世の中で、このすごい時代を生き残るために何を知らなければいけないか、何をすればいいかという議論がいろいろあります。例えばITを知らなければいけない。それから時価会計を知らなければいけない。あと何がありますか? ISOを知らなければいけない。グローバリゼーションを知らなければいけない。こうやっていろいろ知らなければいけないことがあります。こういうことを知って具体的に行動に移していかないと会社は生き残れませんなどといろいろなことを言われます。
しかしちょっと冷静になって考えてみてください。会社の中にこういう新しいものが入ってきたときに会社は強くなりますか? あるいは弱くなりますか? 知らなければならない、これを克服しなければならないという話はたくさんあります。本屋の店頭に行くと、こういうことを知らないビジネスマン、経営者は失格だというような本はいくらでもあります。しかしそういうものというのは、会社にいきなり入れてきたときに果たして会社はすぐ強くなるのでしょうか。弱くなるのでしょうか。
私自身いろいろな会社を見ていて、多くのケースでこういう新しいものというのはいきなり入れると会社は弱くなるのだと思うのです。なぜかと言うと、新しい技術、新しいやり方というのは当然のことながらその会社にとって大きなストレスを生みます。今までの仕事のやり方が通用しない。自分の能力が通用しない。あるいは今まで自分の会社が1番だったのが、他の会社が1番になってしまう。いろいろなことを起こすのです。
人間の体だってそうです。普段食べている以外の物を食べると、やはりストレスになります。体調を崩したりします。
変化、変化とよく言いますが、基本的には新しいものが入ってきたときに会社はどう変化するのか。新しいものが入ってきたときに、普通会社というのは弱くなるのではないかと思うのです。この辺は、会社、組織というものに対してまず率直に認めなければならないことだと思うのです。
こんな難しいことを言わなくても、新入社員、新人ということだっていいと思うのです。全く新しい人が会社に入ってきました。ぴったりはまる人もたまにはいますが、多くの場合というのは、新人がいきなり入って自由にやりなさいと言うと、やはり会社の中というのはちょっと変化していくと思うのです。変化していくときに、普通会社というのは弱くならないようにいろいろ教育、しつけをしていきます。しかし本質的には新しい人が入ってくるということはそこで会社のチームワークが変化していくことですから、放っておけば会社は弱くなるのだろうと思うのです。
つまり変化というのは会社にとって実は大きな脅威なのです。人々はそれはもう直感で分かっているわけです。新しい変化が起きるということは実は大変な脅威なのです。やはり「変化=脅威」であるという意識が人々には強いです。
それが会社に入ってくる。放っておけば弱くなる。弱くなったのでは会社がなくなってしまう。しかし新しい常識というものを入れなければ、会社もうまくいかない。それでは会社を強くしなければいけない。どうしようか。どうやって、HOW。日本の企業だけでなく世界の企業、あるいは人はこの辺りでとても苦労しているのだろうと思うのです。

実は昨日、高松に行っていました。ある大企業で講演をしたのです。そこはすごいワンマン会長がいらっしゃり、ワンマン会長の一言で会社が動くというところなのです。管理職以上の方が百人を超えてお集まりになったところで、変化の必要性の話をしていました。
最後に質問の時間になりました。会長はその会社の中で天皇陛下のような雰囲気の方なのですが、真っ先にその会長が手を挙げられ、「変化というのはやはりトップダウンでなければだめなのですよね」とおっしゃるのです。
そこで私はこういう話をしました。会社を変化させるときというのは、見ているといろいろなやり方があるでしょう。例えば日産自動車などを見てみれば、会社が潰れそうだというあの危機を上手に利用しました。危機を利用して変化を起こすというのは、実は昔からある変化の常套手段なのです。なぜならば人は普通変化が嫌いですから、みんな変化しないで済まそうと思っているのです。しかし変化しないと本当になくなってしまうというぎりぎりのところに来れば、やはり何かしなければならないと思うので、そのチャンスを捉えて逃がさず行動する。これは1つの変化の型なのです。そういうときにはトップダウンも必要でしょう。
 しかしいつもいつもトップダウンだけで変化をやっていたら会社はどうなると思いますか? 何百人の会社、千人を超える会社であっても、変化を認識することも、変化に対応してどう行動するかということも、考えているのはただ1人だけになってしまうのです。もしその方がご高齢で引退されたら、会社は何が残ると思いますか? ただボーッとしている指示待ち族が何百人、千何百人残るだけなのです。
 普段はいつもトップダウンで変化させているわけにもいきません。ですから変化というものはやはり脅威ではあるのだけれど、これを自分のものにして会社を変えていこうと思って変化を認識し、自由に行動できるような社風を作らなければいけないのではないですか。こうお話ししたのです。
 そうしたら会長はムッとされて、「学問的にはそうかもしれないけれど、このすごい時代にはトップダウンでなければだめだ。世の中の社員には2通りの社員がいるのだ。守ることしかできない社員と変えることが得意な社員との2通りいる。だからこういうときは変えることができる社員にやらせなければだめなのだ。そしてトップダウンでやらなければだめだ」とおっしゃるのです。
 そうしたらこちらにいる副社長以下、役員の顔が真っ青になりました。これは具体的にその会長が、この役員は守りでこの役員は変える方だと意識しているのでしょう。すごいことをやっているなと思いました。100人以上の役員の目の前でそのバトルが始まったわけです。
 私も外部から招かれてやるわけですから、何の遠慮もいらないのです。ですから、「やはりトップダウンというのは必要ではありますが、それだけでは続かないのではないでしょうか」と今申し上げたお話をしたのです。
 一応その場は終ったのですが、後で聞いてみました。そうしたら面白かったです。私が申し上げた、「社風を変えなければいけない」という声こそいつも社員が思っていた言葉だったと。しかしいつも社員が聞いていた言葉は、その会長が言っていた言葉「トップダウンでなければ会社は動かない」だったのです。いつもトップダウンで、何かあると上の指示で、右に左に飛ばされながら動いてきたその歴史だった。今日のお話は歴史的なお話でしたというようなことを言っておられました。なるほど、やはりみなさんご苦労されているのだとつくづく思ったのです。

 今の話で申し上げましたように、変化だ変化だ、脅威だ脅威だと言ったときに、世の中でこれをトップダウンでというところは多いのです。これがリーダーだという人が多いです。今のリーダーシップ論、本屋にあるのもそうです、見てください。週刊ダイヤモンドでも月刊プレジデントでも何でもいいです。トップダウン、権限を集中させてビシッと会社を変えること、これがリーダーの真髄であるというようなことが書いてあります。
 しかし私はそうでもないかなという気がするのです。確かにそういうタイプのリーダーシップというのも必要です。しかしいろいろ問題点も多いのです。まず第1にリーダーが間違えたらどうするのでしょうか。
 例えばこういうタイプのリーダーだったらどうしますか?
 そのリーダーは天皇陛下なのです。いつも自分の部屋にこもり、全部指示を出し、会社を支配しています。しかしそのリーダーがどういう情報に基づいて会社を動かしているか。それはリーダー、そのトップが、自分が疑問に思ったことを電話で秘書に伝えます。そうするとこの御下問に答える社員が恐る恐る入ってきて御下問に答えます。トップはこういう形で情報を得て決断していたとします。何が起きると思いますか?
 部下の人たちはまず第1にいちばん気を付けなければならないことは何ですか?
 それはトップに怒られないことなのです。逆鱗に触れないことなのです。逆鱗に触れるというのは会社が潰れることより怖いことです。なぜでしょうか。会社が潰れる前に自分がクビになるからです。逆鱗に触れないということがまず第1なのです。
 第2のポイントは、御下問に答えた時にはじめて、御下問の内容に沿った情報は下から上に上げることができるのです。御下問がないところに関してはどうでしょう。トップが問題ないと思っている。そこにもし問題があってもトップは気が付かなかった。しかしトップになかなか話ができない。トップが問題に気付かない部分で重要なことがあったけれど御下問がない。そういうケースの場合、その問題に関しては決してトップは考慮してくれないのです。そういう形で会社を変えていってうまくいくのでしょうか。

 私もこの2、3年、アメリカでリーダーシップ理論を勉強しています。あるいはその前、実は1987年ぐらいからウォールストリートジャーナルという新聞をずっと見ています。これは仕事柄見ていたのですが・・・。国際金融市場を見ていると、国際的に強い会社と弱い会社というのがよく見えてくるのです。どういうリーダーシップでやっている会社が強いか弱いかというのは、国際金融市場を見ていると当然出てきます。その中でどういう会社が強くて、どういう会社が弱いのか、私なりに見ていて感じた部分があります。
 少なくともトップが全権を握り、右に左に指図している会社で、あまり長く続いている会社は最近、特にこの10年ぐらいないように思うのです。大体そういう会社というのは華々しいのですが、日本でもそうだし海外でもそうなのですが、あまり長く続かないのです。トップが出てきて、とにかくメディアでも何でもよくしゃべって、自分はこうやっていると。実際に会社の中でやっている仕事は、本当に全部トップが仕切り、頭は自分だけで、残りは全部下にやらしておけばいい、言われたとおり仕事をさせておけばいい。こういうタイプの会社というのはあまり長続きしているようには見えない。日本だけでなく、外国でもそうだと思います。
 IT関係の会社で、トップが全部という会社が結構多かったのです。そういう会社というのは、ITバブルがはじけると真っ先に傾きました。
ああいうのを見ていると、こういうリーダーが良いリーダーだ、こういうリーダーが乱世のリーダーだという、今日本で言っているリーダーシップ論はどうも違うのではないかと思うのです。
そういう格好良いことをしてみたいという誘惑は多くのリーダーにあるかもしれない。しかしそんなふうにやっているリーダーは本当に成功しているのだろうかと見たときに、どうも失敗しているケースの方が目立つような気がしてしょうがないのです。
例えば今ITというお話をしました。日本でIT、つまりデジタル技術というものがハードでなくソフトの分野で始まったのは実は1980年ぐらいなのです。デジタルを使ってソフトを作ったり、デジタルをビジネスへ応用するような人たちが出てきたのは、1980年代の最初ぐらいなのです。
昔から本当にそういうデジタルというものをやっている人は、実はこのIT バブルがはじけても会社はちゃんと続いているのです。あまり大きな問題は起きていないのです。そういう会社というのは結構渋谷の辺りや私の事務所の辺りにもあるのですが、本当に面白くて、絶対にこういう変なトップダウンの会社ではないのです。やはりトップ自身が楽しそうに仕事をしているのです。
ああいうのを見ていると、どうも今の日本のリーダーシップ論はちょっと違うなという思いが強く、実はこの間『大逆転のリーダーシップ理論』という本を書いたのです。私自身、どうも今のリーダー論はおかしいと感じるのです。

それではどんなふうに世の中が変わっているのだろうかということを考えていこうと思います。
例えば昔、昭和時代のことを考えましょう。昭和時代というのは非常に難しい時代でした。というのは転職をしようとしてもなかなか難しかったです。それから業種を変えるというのもなかなか難しい。規制も多いですし、ある意味では自由がきかない時代でした。昔から経営をやっておられる方というのは、昭和時代というもう大昔の化石のような時代のことを今の時代と勘違いしていることがあるのです。
よく十年一昔という言葉があります。しかしもう昭和時代が終って13年経っているのです。ですから明治と大正で言ったら、もう明治が終って大正13年なのです。「降る雪や 明治は遠くなりにけり」というのは確か大正5、6年の川柳ではないかと思います。もう13年も経つと、昭和時代のことは本当に大昔のことなのです。
昭和時代というのはよく右肩上がりと言われましたが、みんながひとつの方向に価値観を合わせて持っていた時代だと言ってもいいと思うのです。昭和時代の学校教育というのは基本的には何を求めて教育をしていたかというと、全ての人を同じ価値観を持つ方向に、ある程度等しい能力になるように育てるのが昭和時代の学校教育の基本だったのではないかと思うのです。これは個性を伸ばさない教育と言ってもいいかもしれません。みんなの価値観をひとつの方向に揃える。そして非常にきれいな均一な学生をたくさん養成する。
茨城県は農業県ですが、これはちょうど田植えの時に農協からやってくる苗みたいなものではないかと思うのです。田植えをする時農協から苗を買うと、均一の長さで同じ品種の苗がきれいに並んでやって来ます。
昭和時代というのは、学校は何を作っていたのか、生徒をどんなふうに育てていたのかというと、ちょうど農協が持って来る田植えの苗みたいなものだったのではないかと思うのです。みんな同じ品種で、同じ長さで、同じ方向を向いている。しかもきれいに並んでいる。こういうものを作るというのが、実は明示的にも暗示的にも学校教育でいちばん目指されていたことではないかと思うのです。
こういう田植えの苗のように人が学校で育てられ、企業に入ってくるのです。企業に入ってくると、いわゆる田植えをするわけです。それは会社の中に入るわけです。そのままきれいに並べればいいのです。あまり難しいことはないのです。そうするとみんなスクスクと育ってきます。
会社というのは例えば20歳で入って60歳まで、40年間、その稲は基本的には同じ田んぼで育つのです。ずっとその会社の中で育ってきます。年齢が上がっても、基本的にはみんなその会社の中でずっといるのです。
会社というのはちょうど煙突みたいになっているのです。下から新入社員が入ってくると、煙突の中の煙みたいなもので何もしなくても下から押されて上に上がっていくわけです。そして60歳ぐらいになると定年退職ということで自由になっていいよということで、煙突の上から外へ、どうぞお好きな所へお出かけくださいという仕組みです。
当然だと思いますが、やはり中にはちょっと価値観が違うという人がいるわけです。学校の中で価値観が違うというようなことがあると、まともに就職させてくれないのです。ルンペンみたいなことをしてしまうと就職させてくれない。学校を出て何年か自分で遊んでいるというと、もう大企業はそういう人の採用を嫌がる。やはり決められたスケジュールどおりに勉強して、そのまま何も余計なことをしないで入社試験を受けた人がいちばん好きなのです。
会社の中に入っても、なんでこんな会社やっているのだろうとか、なんでこんな仕事をしているのだろうとか、横向いてしまう人は嫌がるのでどうぞ出てくださいと。田んぼの草取りのようなものです。生え方が悪かったり、横を向いたり、変な所に生えていると抜かれてしまうのです。
一方、内にいる人たちに対しては、「あんたたち、横を向くと大変だ。外に出てしまうよ。」それこそ昔の昭和時代のことなので、外に出されると転職といってもそう簡単にいかず、「家族がいるのに暮らしていけるの? 会社を途中で辞めてしまうということは大変なことなのだよ。独りで暮らしているのではないんだよ」と一種脅迫のようなことがあります。
ですから横を向くのではない、前を向いていろと。とにかく辛抱するのだ。辛抱して煙突の中に入っていればちゃんと食えるし、問題はないのだ。だからとにかくあまり難しいことを言っていないで、世の中みんな向こうを向いて走っているのだから、なぜだと言わないでとにかくまず走れ。こういうのが昭和時代の典型的な姿だったのではないかと思うのです。
しかしこの中で全く競争がないかというとそんなことはないのです。会社中にピラミッドをつくるのです。だんだ年を取るに従って偉くなるにつれ、上に上がってきます。しかし一番上はたった1人しかいないのです。昔からこれをリーダーと言ったのです。昭和時代のリーダーというのは、ピラミッドの頂点に立っている人のことを言ったのです。
ですから昭和時代のリーダーシップ論では、普通リーダーと言われるのは会社の中で1人しかいないのです。リーダーとはと言った場合に、たった1人の一番上に立っている人のことを言うことが多かったのではないかと思うのです。
これは会社の中だけではないと思います。例えば地域と言ってもそうです。地域の中でドンと言われる会社、地域の経済を仕切るような会社というのはやはり出てきます。また業界の中でもそうです。業界の中でドンと言われる会社、仕切るような会社というのがちゃんと出てくるのです。ですからこのピラミッドというのは会社の中だけではなくて、会社の外、地域、国全体の中でも当然こういうものがあったのです。
このピラミッドというのは、上にいくにしたがってどんどん狭くなってきます。そうすると何が起きるかというと、ピラミッドの中に残れるか残れないかで同期の競争が始まるわけです。ピラミッドの中に残れば上まで行けます。しかしピラミッドの中に残れないと、簡単に言えば関係会社に行くとか、業界の仲間内で小さい会社になってしまうとか、基本的にはメインの流れから外れるわけです。
ですから人々はただ単に煙突の中でボーッとして上まで行っていたのではなく、この同期の競争にものすごく明け暮れていたのです。同期の競争によってどうやったらピラミッドに残れるのだろうか。実はここがものすごいエネルギーを使う原点だったのです。
今の時代、平成になると「能力がなければビジネスマンは生き残れない」とよく言われます。この中で大企業にお勤めの方にちょっと申し上げておきます。能力と言ったときに気を付けなければいけないことがあります。「能力がないと生き残れない」という言葉が特に大企業で使われるケースとして、同期の競争に残るための能力という意味があるのです。中小・零細企業の場合は数が少ないのであまりそういうことはないかもしれませんが、大企業において能力がないと生き残れないという場合の能力というのは、同期の競争に生き残るための力という意味で使われることが多いのです。
なぜそれに注意しなければいけないかというと、それは必ずしもその会社が、あるいはその人が、自由な世の中において生きていくために本当に役に立つ能力とは限らないケースがあるのです。ここは特に大企業の方はよく注意しておいてください。
同期との競争に勝つために何ができればいいかというのは、各社ごとに明示的なもの、あるいは明示的でないもの、普通基準があるのです。これに勝つために能力を身に付けるということをよくいろいろな方がやります。しかしその身に付けた能力というのは、ビジネスマンとして組織を離れて自立できるために、あるいは自分で関係会社を任されて独りで、あるいは自分の力で本当に経営していくときに必要な能力とイコールかどうかというと、必ずしもイコールでないことが多いのです。
今本当に必要とされている能力というのは、自分の力で本当に世の中を渡っていける能力という意味なのです。その点はまたあとでお話ししますが、能力重視というときの能力というのは、実は昭和時代の、同期と戦って残るための能力という意味が結構多かったのです。
こういうことを言えば、どうしてこんなに日本人が英語を勉強しているのに英語を使えないか、よくお分かりいただけるでしょう。やはり英語というのはできないといけないというのは、同期の競争の中の1つのポイントだったのです。英語ができる人は海外に行ける。英語ができる人はこういう仕事ができる。それは同期との中での選抜だけの話なのです。誰の英語が通じるのだろうか。英語が通じるかどうか、外の世界でテストして能力を判定する、外の尺度で判定するということを実はあまりやってこなかったのです。
ですから社内では非常に競争が厳しい。しかし会社全体としてはあまり業績が上がらない。どんどん陳腐化していくという現象は最近よく起こっています。競争重視と言うけれど、自分はすごい競争をしている。本当に日々競争に明け暮れていて疲れてしまうぐらいだ。しかしどうして会社の業績が悪いのだろう。どうしてうまくいかないのだろうといったときに、競争しているポイントというのがこの競争であることが結構多いのです。これは少し頭を切り換えていかないといけません。

いずれにしても、昭和の時代というのはこれがリーダーシップだったのです。こういう時代のリーダーの役割というのはどういうことだったのでしょうか。まず、このピラミッドの時代のリーダーというのは基本的にこの煙突を作っている人ではないのです。この煙突、会社というのは昔からあるのです。昔からあって、自分の後にもずっと伝えていくべきもの、自然にあるみたいなもの、それぐらいがっちりとしたものなのです。
なぜかというと企業の序列というもの、今で言う談合みたいなものがあって、みんな生き残る場所というのがちゃんと決まっていたのです。経済はあまりグローバル化していません。技術の変化と言っても、技術を新しく作る人は大体決まっていて、そんなに業界の秩序が滅茶苦茶に変わるということもありませんでした。官と民の境目はいろいろと動きましたが、官と民もちゃんとあり、官と民が入り乱れておかしくなるということもありませんでした。
ですから会社、業界、あるいは地方、町というのはやはり天然自然の現象のようにずっとあるのです。誰か1人リーダーがいたからあるのではなく、ずっとあるのです。そういうのが会社です。
このリーダーというのは何が仕事かというと、基本的にはこのピラミッド内外の揉め事をなくすというか、問題解決をし、ピラミッドが崩れないように、煙突が崩れないようにいろいろな調整をする。これがリーダーの大切な役割だったのです。だからリーダーというのはわりと調整型の人がいいのです。
それからたまに危機が来ます。例えば石油危機が来るとか円高が来るといった場合には、リーダーは「こっちだ」といろいろ決断を下さなければなりません。しかしそれは別にリーダーだけがやっていたことではないのです。
なぜならば本当に危機が来ると、煙突に乗っている人全ての人の生活がかかってくるわけです。この煙突を作っているのはこの1人のリーダーではないということをみんなが分かっているので、自分の問題として頑張ったわけです。上に言われなくても、「俺の会社だ。みんなの生活がかかっているんだ。これは上に言われるまでもなく、自分たちでやらない限り大変なことになる。」この煙突の中の人々は全てそういう思いを持っていたわけです。ですから上の人はきっかけを与えてやればよかった。どうやるかというのは下に任せておけば、大体そんなに間違わない結論というのが出てきたものなのです。
良い意味でも悪い意味でも、リーダーというのは絶対君主ではなく、調整役だったのです。これが昔のタイプ、昭和時代までの企業の組織とリーダーの基本的な姿だったのではないかと思うのです。

ところがやはり時代が変わりました。今、何が起こっているか。
昨日高松で藤原塾をやったときにアンケート調査をしました。「みなさんの会社で大卒の社員を雇っているケースがあるかもしれません。もしその大卒の社員を高卒の社員に切り替えた場合に、会社の能力と魅力は落ちると思いますか」という質問をしたのです。9割の方が落ちないと言っていました。これはすごいです。
私自身、大学で教えて始めて今年で11年目です。でもそれは実感で分かります。技術系の方はちょっと違うかもしれませんが、文科系の世界では、大学の4年間で学んだことと企業の業績との間にほとんど関係がないのではないでしょうか。無責任なことを言うようですが、自分で教えていて分かります。私は非常勤講師なので頼まれてしゃべるだけですから、何を教えるかの権限はありません。しかしそれは実感として分かります。9割の会社の方が高卒に切り替えても会社の能力や魅力は落ちないと言っていました。
事事さように、今の時代、学校教育というものへの信認は非常に低くなっています。昔のように、学校を出てこないとベクトルが合っていない、能力がどうなっているか分からないという時代では全くないのです。
今どうなっているかというと、要するに今の時代というのはみんなバラバラな時代なのです。いろいろな価値観の人がいるのです。いろいろな能力の人がいるのです。野球でいっても、みんな決まった教科書みたいなフォームでやっているわけではない。独特の振り方でアメリカで人気ナンバーワンになるイチロー選手のような人がいるわけです。そういう人が許される時代です。例えば大学に行ってもしょうがないと思うので専門学校に行きますという学生さんだっています。あるいはサラリーマンは嫌だ、手に職をつけるのだと言って、20歳代、ずっとどこかで修行するような人もいます。いろいろな方がいらっしゃる。
昔の昭和時代のように、よそを向いている奴は社会に入れないという時代ではないのです。よそを向いたら社会から排除しますというのが昭和時代だったのかもしれない。そういう文化は確かにあったでしょう。しかし今はそれはありません。どっちを向いていても、個性を持って生き生きと生きていれば、それは素晴らしい人間だとみんなが認めてくれる時代です。
それは良いことだと思います。ある意味でとても自然なことです。本来、人というのは非常に多様な価値観を持っています。経営者の方にとってみれば、多様な価値観と言われるだけで頭が痛いことだと思います。多様性を認めるという総論はいいけれど、俺の会社で多様性を認めたらこの会社はどうなるのだろう。俺の部はどうなるのだろう。みんなそう思うと思うのですが、これは現実です。
どちらかと言うと、この昭和時代の田植え型の世の中の方が特別だったのではないかと思うのです。これは実は経済学の中でも言われています。こういう時代はいわゆる戦時経済体制の一種だったと言われるのです。戦時経済、戦争の時の経済の姿が、こういう均一の能力、価値観を持った人を大量に養成し、1つのシステムの中に送り込んでしまう。これがいわゆる戦時経済独特のものだったのだろうということがこの5、6年、いろいろな経済学者の中でも言われていることなのです。ですからちょっと特殊な現象なのです。
本来は世の中こんな(バラバラな)ものなのです。私は昔ウォール街の会社に勤めていたことがあります。典型的なこの世界です。国籍は違う、民族は違う、なぜ働いているのかその意味が違う。金を稼ぎたい奴もいる、世の中に何かチャレンジしたい奴がいる、国のために働いている奴がいる。
私の当時の上司はすごく仕事ができたのですが、パスポートを持っていなかったのです。1979年のイランのパーレビ国王が倒れた革命の時、命からがら逃げてきて、あまり優秀なのでアメリカでソロモンに入社し、リサーチのマネジャーをやっていました。そしてやっとパスポートが取れたとみんなでお祝いのパーティーをやったのをよく覚えています。
そんなことで完全に無国籍、いろいろな人たちが中にいるのです。だからこちらの世の中の方が普通なのです。

それではこれでこのまま会社になるのだろうかというと、それはそうではありません。いろいろな人をとにかく数だけ集めてきました。これでは実は会社にならないわけです。
それでは会社、組織というのはこういう状態の中でどうやって創るのだろうか。まず初めに、もし会社を創るとしたら会社の設計図を用意しなければいけないでしょう。営業が何人、生産管理が何人、設計が何人、総務が何人、東京事務所が何人、ニューヨークに何人、北京に何人という設計図をまず描いて、実際に人を募集してくるわけです。人を募集し、その人を見て価値観や能力を見て、何ができるかを見てはめ込んでいくわけです。これで会社はうまく動くと思いますか? 設計図を作りました。こういう仕事をするのです。付いてはこれだけの人数が要ります。必要な人材はこれです。集めてきました。はい、座らせました。これで会社は動くと思いますか?
経験的に言って、これでうまくいったケースというのはありません。この設計図、別の言い方をすればビジネスモデルと言ってもいいです。ビジネスモデルも一種の設計図です。ビジネスモデルを作りました。どういう人が何人要るか。そこから逆算して出てきます。人を採用して会社を創りました。ベンチャー企業です。それでうまくいっている会社というのはありますか? 
普通はうまくいかないのです。ビジネスモデルを作って、こうやればうまくいくという設計図を描いて、特許まで取ってしまい、それにしたがって人を集めてきました。しかもそれはすごく優秀な人たちでした。例えばある商社で1つのビジネスモデルにしたがって子会社を創ることにした。そして各部署から精鋭ばかり集めて会社を創った。見事にうまくいって利益を出しているという話はほとんど聞きません。大体正反対のケースが多いのです。全然うまくいかない。
何を意味していると思いますか? やはり何か足らないものがあるのです。設計図を引いて、人を入れて、ただこれだけでは実は会社というのは動かないのです。言ってみれば、これは普通の飛行機の定期便の座席に人が勝手にやって来て乗るのと全く同じなのです。
例えばどこそこ行きの飛行機に乗りました。そうすると一応みんな目的地に行くことは合意しているわけですから、席に座っています。しかし顔見知りである必要もないし、乗っている理由を合わせる必要もないし、楽しむ必要もない。どんなに嫌でも、とにかく目的地に着くまでずっと座ってさえいればいいのです。普通嫌なものです。あんな狭い席に座っていて、好きな人の方が少ないです。とにかく早く着かないかなと。
これは会社で言ったら、給料を貰うために俺は座っている。やるべき仕事はこれだと言われたから座っているのだ。早く給料をくれないかな、早く仕事が終らないかな。他の人が何をやっているか、俺は知らない。俺の仕事はこれなのだ。この仕事をやれば、いくら給料を貰って休みはいつだということでやっているのだ。これでは動かないのです。
そうするとこの時代のリーダーの仕事には第2段階があるということがお分かりいただけると思います。人を集めてくるだけでは会社は動かないのです。集めてきたときに、人々の持っている価値観を1つに合わせていく必要があります。これがどうしても必要なのです。全ての人たちの価値観を1つの方向に合わせていくということです。これはものすごいことです。
なぜこんな仕事をしているのか。どういう目的でみんなこういう仕事をするのか。人々がなぜこの席に座っているのか。この目的と行くべき方向をみんなで価値観を合わせるということが実は次にものすごく大切なことなのです。

例えばさっきの飛行機の例で言います。ハリウッドの映画でよくあるやつですが、満席の飛行機が飛んでいます。ところが上空に行くと何か事件が起きます。エンジンが吹き飛ぶとか、操縦室が吹き飛んでしまうのです。だれも操縦する人がいなくなり、パニックが起きます。映画を見ているとよく分かりますが、パニックが起きると、面白いことに今までは全く見ず知らずの他人同士だった乗客がお互いに会話を始めるのです。「大変だね。」「大丈夫ですか?」
何がポイントかと言うと、今まではみんなで共通にやらなければならないことというのは全くなかったのです。じっと座っていればよかった。ところが上空に行って操縦不能になってしまった。あるいは操縦士がいなくなってしまった。そうすると空の上ですから、みんな自分1人逃げ出すことができないのです。唯一の道は、みんなで協力して飛行機を安全に地上に下ろすことなのです。
すなわちその事故が起こった瞬間に、全ての人に「みんなで協力して地上に下りる」という共通の目標が生まれるのです。その共通の目標が生まれたときに何が起きるか、あのハリウッドの映画はよく表していると思いませんか? 全く見ず知らずの他人同士だった人たちが、どうして飛行機に乗っているのかお互いに話を始める。大変だねとお互いに慰め合う。パニックを起こしている人をみんなでなだめる。
今までは全くそんなことをする必要がなかったのが、生きて地上に帰る、しかも誰1人、自分だけ生きて帰ることができないという状況の中でみんなでやっていかなければならないという状況になると、ああやってお互いに仲良くしてやっていこう、チームワークを作ってやっていこうという雰囲気が途端に生まれるのです。
電車の中もそうではないですか。私は今東京にいますが、よく人身事故が起きます。最初のうちは電車が止まってしまってイライラしています。しかしある程度時間が経つとお互いに声を掛け合うようになります。例えば携帯電話などで外の状況が分かっていれば、お互いにそういう情報を知らせ合うようになります。それはやはり同じ仲間だからです。誰かがパニックを起こして喧嘩でもしたらみんな大変だから、お互いに助け合わざるを得なくなるのです。それが実は非常に興味深い、みんなの方向性が1つに合った姿なのです。
そしてその時に面白いのは、誰か1人の人がトップダウンで仕切って人々の方向性を合わせているわけではないということなのです。誰か天皇陛下みたいな人が出てきて、みんなでこうしなければいけないと叫び、トップダウンでやらせてみんなが方向性を合わせているのではないのです。みんなが自然に合わせるのです。
そういう場合にも実はリーダーは必要です。なぜかと言うと、飛行機を安全に地上に下ろすために何らかの操作をしなければならないのです。その操作をする人をやはり選ばなければなりません。だからリーダーは必要なのです。そこに出てくるリーダーというのは投票で決めるわけではないのです。いちばん金を持っている人というわけでもないのです。自然に出てくるのではないですか。乗客の中の何人かが自然に「俺がやる」と言ってリーダーとして出てきて、それではやってくれとみんながお願いするわけです。
大体、ハリウッドの映画では男2人、女1人ぐらいリーダーが出てくる。途中でその男1人は大体死ぬのです。残念ながら男2人の内の1人は途中で死ぬ。死ぬとみんな嫌なわけです。せっかくみんなで協力すれば安全に地上に戻れると思っていた。ところが1人死んでしまい、もうだめかと思う。しかしもうだめだと思って諦めたら、全員地上には戻れないのです。だから何が起きるか。屍を乗り越えてというやつです。やはり残った男と女1人ずつが「死んだ人の分まで頑張らなければいけない」と言って、一生懸命頑張って地上に下りるのです。
地上に下りたら、人々はまた自分たちの目的のためにバラバラになります。この図で言ったら右から左へ移るのです。みんな飛行機を降りて、自分たちのそれぞれ目的地へ去って行きます。

ある時ふと気が付いたのですが、ハリウッドの映画というのはチームワークの素晴らしさということをこれでもか、これでもかと説いている映画ではないかと気が付いたのです。飛行機の場合もあります。それから高層ビルの火災もあります。それからタイタニックのような船の沈没もあります。惑星から猿がやって来てしまうとか、恐竜がやって来てしまうとか、いろいろ道具だてはあるのです。しかしあの話というのは、全部チームワークを作ることによって全ての人が救われる、チームワークの力が人々を救うことを手を変え品を変え説いているのではないかということにある時気が付いたのです。
みなさんのご当地水戸には、ご存知水戸黄門という方がいらっしゃいます。水戸黄門のテレビドラマは勧善懲悪物語です。日本中どこに行っても話は同じです。ハリウッドの映画もあれによく似たものです。どんな事件があっても、話はただ1つ。チームワークは素晴らしい。チームワークがなければ何も起こらない、1人も助からないところが、チームワークがあればみんなが助かる。そういうことを何度も何度も舞台を変えて説いているように思うのです。
そういうチームワークというのはアメリカの映画ですが、日本人も見て喜びます。ヨーロッパ人も喜びます。アジア人も喜びます。中国の人たちも喜びます。そういうチームワークの素晴らしさというのは、国境や民族を超えていると思うのです。国境や民族を超えて、このチームワークというものの素晴らしさを人は分かるのだと思うのです。

今の時代のリーダーというのはどういう存在なのか。もう全てそこに答が出ていると思うのです。今の時代のリーダーというのは1人の人である必要もないのです。人が上にいるのではないのです。つまりいちばん大事なのはリーダーではなく、リーダーシップであり、チームワークなのです。みんなが、バラバラの人たちが1つの方向に向けて力を合わせている状況、多くの人たちが1つの方向に向けて力を合わせている状況、これがチームワークが整った状況だと言うのです。
チームワークというのは、みんなが1つの方向にベクトルを合わせて協力し合っている状況のことです。このチームワークを作る力のこと、これをリーダーシップというのです。

面白いことに、リーダーシップという言葉には日本語がないのです。例えば「和」という言葉はチームワークという意味の日本語として言っていいと思うのです。ちょっと隠微な意味もありますが・・・。リーダーシップという言葉にはなかなか日本語がないのです。
よく指導力という人がいます。しかしその場合の指導力という意味はこの上のケースの場合なのです。俺は上にいておまえは下にいる。だから俺が指導してやるというのが指導者という意味のリーダーなのです。
しかしこの世界においてこの真中に立っているのは人であるとは限らないのです。ここが人である場合、よくカリスマと言うのです。みんなが集まる求心力が人間である場合、この人間のことをカリスマと言うのです。しかしこの時代、カリスマだけが人々の求心力ではないのです。それはハリウッドの映画を見ても分かります。きわめて抽象的なものでもいいのです。誰か人間に人が集まる必要はないのです。みんなで生きて帰るという目標でもいいのです。ですから実は今の時代、集まる目標が人間である必要は全くないのです。何かの目標に向けてみんなが集まればそれは構わない。
むしろ逆に人の方が不自然なのです。誰かのために会社があるのだ、このカリスマのために会社があるのだという方がむしろ不自然なのです。どうして俺はあいつのために尽くさなければならないのだろうかと思い出してしまうのです。
ですからリーダーシップというのは、実はこの混沌を止める力だと言う方が正確なのです。混沌というのはバラバラの状況です。これを止める力、すなわちまず第1段階で人を整列させ、第2段階でみんなの気持ちを1つに集める。この二つの作業をやる力のことをリーダーシップというわけです。
これをもし人がやるとしたら、その人のことをリーダーというのです。しかし必ずしも人がやるとは限りません。さっきの飛行機の事件ではないですが、状況がリーダーシップを作ることがあります。
変な話をすれば、株式市場というのはみんなお金を持って市場にやって来るのです。そして我先にと投資をしていきます。誰かリーダーがいるわけではありません。儲かるという現実、儲かるのではないかという期待がリーダーシップを発揮しているのです。儲かるかもしれないというものがあると、誰も人がいなくてもみんなお金を持ってそこにワーッと集まってくるのです。だから混沌の世界のお金を、儲かるかもしれないという何か期待みたいなものだけがリーダーシップを作り、お金のチームワークを作ってしまうのです。だから必ずしも人であるとは限らないのです。
と言うことは、我々が今住んでいる平成の時代のみなさん、リーダーの方々、職場の方々は昭和時代とは全く違う時代にいるということがお分かりいただけると思うのです。

それでは1人ひとりが何をしなければいけないかというと、この第1段階と第2段階、設計図を引いて人を常に1つの方向に集めていく。状況が変わってもいつも1つの方向に集め続ける。こうやって新しいものが入ってくれば会社が弱くなる。会社が弱くなるというのはどういう意味かというと、みんなが1つの方向に向いていたのがバラバラの方向に向き始めるということを意味するのです。
新しい技術が入ってくる。そうするとこの設計図のこの部分は不要ではないかと誰かが思い始める。そうしたらそう思った人はベクトルがよそへ向いてしまうのです。「この会社はだめかもしれない。俺の居場所はないかもしれない。」新しいものが入ればその都度、俺の場所はないかもしれないと思う人、あるいはこの会社はだめかもしれないと思う人がどんどん増えてくる。そうするとみんなどんどんベクトルが他の方向へ向いていってしまうのです。俺がだめかもしれない、会社がだめかもしれないという思いを感じれば感じるほど、今まで1つになっていたベクトルがどんどんバラバラになっていってしまうのです。すなわちどんどん混沌の方向へ向いていってしまうのです。だから会社はどんどん弱くなってしまうのです。
ということはもし人ということで言うのであれば、今のリーダーは世の中にどんな変化が起きても、常にこの設計図を現代にふさわしい設計図として維持し続け、設計図を常に変更し続け、そして人々の意識を1つに集め続ける。場合によってはカリスマ的になって自分が先頭に立ってやってもいい。あるいは協力させることによって集めてもいい。とにかく1つの方向に人々のエネルギーを常に集中させつづけるのがリーダーなのです。

と言うことはリーダーがいないということは何が起きるということでしょうか?
会社がなくなるという意味なのです。組織が存在しないという意味なのです。でもそれは昭和時代で言ったら会社が潰れることを意味したのです。潰れるというのはいい言葉です。本当にそのとおりです。煙突が潰れてしまうのです。
しかし今の時代、会社がなくなる、組織がなくなるというのは、別に何か死ぬわけではないのです。ただまた元の状態に戻るだけなのです。設計図によって集められた人間がまた元の状態に戻るだけなのです。これが今の時代、組織、会社がなくなるという現実なのです。そして新しい会社、組織ができればまたもう1回入り直していくわけです。
ですから昔のように、潰れてしまったら全員圧死して終りだという状況では全くないのです。人は自由に設計図と混沌の間を出たり入ったりすればいい。まさに自分の生き甲斐と自分の人生のライフスタイルにしたがって、自分で設計図を選び、たまにはリーダーとしてみんなを率いてみたり、そしてある時にはこれを離れて自分の人生に戻ってみたり、ぐるぐる人々は同じように人生を歩んでいく。これが現代の姿です。
この現実の中でどうやって設計図をいつも現代的なものであらせ続け、人々を集めていくか。エネルギーを1ヶ所に集中させていくか。これがリーダーシップの理論というものなのです。

<変化に強い組織は社風が違う>
現代のリーダーシップの全てのポイントというのは、設計図を常に現代の状況に合わせ、なおかつ人々の価値観を1ヶ所に集中させ続ける。これが素晴らしいリーダーシップだということはよろしいですね。どんな状況においても、どんな変化が起きても、人々の価値観を合わせることなく、もし設計図が違うのであれば、この設計図を直していかなければならない。これが現代のリーダーのいちばん大事な仕事なのです。
そのときに変化に対して人々がどういう反応を示すか。これが実は非常に今みんなが注目しているポイントなのです。よく会社には文化があると言われます。企業文化というものが大切だというのは昔からよく言われるのです。あるいは社風と言ってもいいです。
アメリカの会社と日本の会社で社風は違います。それはアメリカと日本の違いです。東京と水戸の会社で社風は違います。それはやはり地域性の違いです。年配の方がいる会社と若い人がいる会社ではやはり社風が違う。それは年齢の違いです。男性だけの会社と女性だけの会社で社風が違う。それは男女の違いだ。社風でもいろいろな違いの分け方があります。
しかしここで申し上げたいのは、変化に対する態度、変化に対する反応で社風を分けることもできるということです。変化に対する反応というのは、何か変化が起こったことに対してまずどう思うかなのです。
例えば今暑いですが、いきなり大雨がザーッと降ってきてしまったとします。そうすると歩いていらっしゃった方は間違いなく嫌だなと思います。しかし車でいらっしゃった方は車に乗れば別に濡れない。雨が降ったから涼しくなるのでよかったなと思うかもしれません。こんなに暑いのではかなわない。この雨を待っていたのだ。とにかく車があるので自分は濡れない。だから良かったなと思うかもしれません。実は同じ雨が降るということ1つ取っても、人によって状況によって、嫌だなと思うときと良かったなと思うときは違うのです。
ですから一般的に言って、変化に対する反応というのはまちまちだと言わざるを得ない部分も当然あるのですが、総じていろいろな新しい変化、新しく生まれてくる変化に対して嫌だなと思うことが多い会社、社風と、変化に対してそれは面白いということが多い会社に分かれてくるのです。

変化に対する態度、反応で、まず1つが変化に対して建設的になるという態度があります。建設的になる態度というのは、変化の中で新しい建設をしようと言い換えてもいいです。何か状況が変わる。この変わった状況の中で何か新しいものを作っていこう、建設をしていこう。この新しい状況の中で自分の会社をもっと花開かせていこう。こんな状況を待っていたのだ。やりたいことができるようになる。是非やってみよう。
あるいはもっと言えば、自分から逆に変化を起こしてしまおうというのがこれです。小泉さんみたいなものです。変化を自分から起こしてみたい。起こした方が何か面白いことがあるのではないだろうか。だから人がやらなくても自分から起こしていこう。これが変化に対する建設的な態度というものです。
それに対して変化に対して防衛的な態度というのがもう1つあるわけです。嫌だなという態度です。変化に対して防衛的な態度というのは実は2種類に分かれています。1つが消極的な防衛、1つが積極的な防衛です。
消極的な防衛というの、簡単に言えば変化に対して見ざる、聞かざる、言わざるを決め込む態度です。あるいは変化を起こそうという人を人事を使って排除してしまうという態度です。
今の自民党を見ているとよく分かります。選挙の最中なのであまり詳しいことは申し上げませんが、今の自民党を見ていると変化に対して紛れもなく消極的な人たちがいます。反対に選挙に対してすごく建設的な人もいます。今の自民党の状況というのは企業文化のとても良い教科書ができるような状況です。
変化に対して積極的な態度というのはどういうことか。変化が来た。見る。聞く。しかしやはり状況は大変だ。これは甘くないというので、頑張ってこれを乗り越えていこうというのが積極的な態度というものなのです。
変化に対して消極的な防衛の態度というのは、変化に対して知らんぷりをするという態度です。変化に対して積極的な態度というのは、これはやばいぞ、放っておいたら会社が潰れてしまう。俺はビジネスマンとしてやっていけないぞというので頑張ろうというのが変化に対して積極的に自分を守ろうとする態度なのです。
一般に頑張ろうと言っている会社は良い会社だと言われます。頑張りが効く会社、元気の良い会社。しかしちょっと注意する必要があるのです。新しい変化が起きて頑張ろうとやっているのは、元気があるのですが本当はそんなことはしたくないのです。本当は嫌なのです。普通人間の心理としてはもっとのんびりやりたいわけです。無理をしたくないのが人間の心理です。しかしそんなことを言っていたら会社が潰れてしまう。だから頑張れ。これは紛れもなく、実は頑張ることによって変化から身を守ろうとしている態度なのです。
いちばん上の建設的な態度というのは、変化を楽しもうという態度なのです。変化の中に光が見える。我々の時代が来る。これは是非この変化をものにしたい。自分からこんなことをやっていったら、もっと良い時代が来る。もっと良い会社になる。自分から是非やってみたい。このように変化を楽しんでいるのです。

「藤原さんて本当に静かな顔をして、銀行が潰れるとかアメリカが潰れるとか怖いことばかり言う。しかしあなたの顔を見ていると楽しそうだ。どういうことだ」とよくお叱りのお電話、投書などをいただくことがあるのです。ある意味では、私は楽しんでいると言っても間違いではありません。なぜならば変化することにより、変なもの、私自身おかしいと思うものが壊れて、次の時代が来ることがとても楽しいことだと私自身は思っているからです。
そしてなるべく早くそれを知ることによって、変化の兆候を見ることによって、頑張るということをなるべく少なく、なるべく自分のやり方で自然に乗り越えることができると思うから、なるべく早くそういうことを知り、なるべく早く手を打とうとしているのです。そしてみなさんにそういうことを伝えたい。ですから多分楽しんでいるように見えるのでしょう。

これがもう1つ現代のポイントなので覚えておいていただきたいのですが、頑張るということよりももっと業績の上がる会社が今あるということなのです。是非今日はこれを覚えて帰ってください。危機の時代、変化の時代、大変な時代というのは、頑張って頑張らなければ会社がうまくいかないとみんな言います。しかしこういう変化の時代、世の中には、頑張って頑張って頑張る会社よりももっと業績の上がる会社があるのです。それは変化を楽しむ会社なのです。
ここがすごいところです。今、アメリカの会社などを見ても、本当に業績が良くてずっと安定している会社に頑張り続けている会社はありません。頑張って頑張って極限まで頑張っている会社というのはなかなか続かないのです。一時だけなのです。良い業績をずっと続けている会社に頑張り続けている会社というのはありません。
実は変化を楽しむことができる会社というのは、実に変化に強いのです。頑張っている会社というのは変化がもう背中まで来てしまっているのです。ですからいつも負われているのです。火事から逃げるようなものです。カチカチ山のタヌキのように背中に火がついてしまっているわけです。だから走れというわけで走る。
ところがこれはとにかくある意味で言ったら泥縄式になってしまう。何かやるにしたって時間がない。だからやっつけ仕事になってしまう。そして同時に1つ目標を決めないと頑張るということができません。数字の目標がある。売上げの目標がある。それを達成することが頑張るということですから、その目標が時代に合っているのかどうか、正しいのか間違っているのかどうかを検討する余裕はその会社から普通は消えてしまうのです。
新しい変化がさらに起こってきたときに、この数字の目標を変えていかなければならない。ところが一度数字の目標を作り、頑張れということで大号令をかけてしまうと、この数字の目標が違っている、状況に合わないからといきなりこの目標を変えるわけにいかないのです。頑張る体制を作ってしまうと走らざるを得ないのです。だからどうやったって時代、次の変化に乗り遅れてしまうのです。
光通信という会社を見てください。典型的なケースです。最初、社長は次のITの先を行こうと思っていろいろなことを考えていたでしょう。しかしあの大きな会社を作ってしまったら、あの会社は次にどうなっていきましたか? もうたくさんの金も集めてしまった。携帯電話をやるしかない。目標を決めて頑張って頑張って頑張らざるを得なかったのです。他に道はなかったのです。
しかしITの変化はものすごく激しかったです。ですから携帯電話を無理して売るというビジネスには限界があったのです。しかし限界があるからといって会社を変えることはもうできなかったのです。なぜかというと、頑張るために必要な人材だけを集めてしまったのです。考えることよりも頑張るということに強い人材だけを集めて、しかも集めてくるときにみんなにはっきりと目標を言ってしまっているので、後から修正がきかないわけです。すると変化に追い抜かれていってしまいました。
よく変化に追い抜かれていってしまった会社が陥る文化が消極的防衛文化なのです。知らんぷりというやつです。実際には時代に遅れてしまっているのです。やばいと思うのです。しかし誰もそれを口に出して言わない。言えない雰囲気がある。これが消極的防衛文化です。
もちろんある種の企業のある種の事業においては、こういうのは必要だと言われることもあります。例えば警察官などが拳銃の使用ということに関して、あまり楽しんでもらっては困ります。建設的になってしまっては困る。独自の判断をしてもらうよりも、やはり規則に従ってもらわないと難しい部分もあります。ですから仕事の内容によっては、消極的防衛文化というのがないとまともに機能しないものも中にはあります。
しかし警察だって拳銃の使用に関しては消極的にやってもらわなければいけないけれど、警察が市民の役に立っているかどうかという部分に関しては、もっと建設的にやってもらわないと、これだけ犯罪も増えて今の調子では困るわけです。
そういうことを考えてみたときに、やはりこの消極防衛文化というのは非常に危険なのです。とにかく変化を見ないのです。聞かないのです。変化がないことにしてしまうのです。そして変化が必要だと言う人を人事を使って排除してしまうのです。よく会社を潰す文化と言われるのがこの消極防衛文化なのです。いちばん危険な文化です。
この文化というのは非常に面白いところがあります。この文化を持っている組織や会社の長になる方は、仕事をしていてもほとんど下から問題が上がってこないのです。「今日はうまくいっているのか?」「はい、今日も順調に、昨日と同じように問題なく営業しています。本日のオペレーションも問題ありません。平常どおりです。」非常に奇妙なことに、ものすごく変化が起きているのに、下から上がってくる情報に問題だという情報がほとんどないのです。「ちゃんと動いています」「全然問題ありません」という答が非常に多いのです。
むしろ建設的文化の方が大変です。みんながワイワイいつも言い出すのです。「これ、大丈夫なのか?」「今度こんな新商品が出たぞ。」「今度こんな法律が変わるんだ。どうする?」建設的文化の方が、喧喧諤諤いつもみんな議論をしているのです。そしてちょっとしたことでみんないろいろ騒ぎ出すのです。「この間、客の所へ行ったらお客さんの様子が違う。やばいんじゃないか?」本当にみんな議論に議論を重ねている。こういう文化が建設的文化です。
ところが消極的防衛文化というのはほとんどそういう話が上がってこないのです。しかし問題がないわけではないのです。問題をみんな知らんぷり決め込んでしまうのです。だからこういう文化ではある日突然とんでもない大失敗が起きるのです。信じられないこと、完全に想定外の出来事がある日突然会社を襲うのです。
雪印などがいい例です。あるいは役所で起きる突然の大失態なんて大抵そうなのです。全然気が付きませんでした。日々の報告に何も問題ありませんでした。しかし人々は問題を抱えながら生きているのです。口にできないのです。しかしそれが隠せない。問題を隠すことができない。見ないことができない。限界を超えたときに一気にとんでもなく巨大な問題として表面化してきてしまい、組織が一気にアウトになってしまうのです。非常に危険な文化です。
これはよく変化に追い抜かれてしまったときに起きる現象なのです。変化を見ると自分が遅れている、負けているということが分かってしまうので、これを見ないようにしてしまったときに起きる文化なのです。
この消極防衛文化に陥ってしまうと本当に大変なのです。例えばリーダーシップ教育をやろうとしても、この文化に入ってしまうと大変です。「リーダーシップが大切です」と言うとみんな「そうですね」と言うのです。なぜか。そういうものが大切だと言って呼んで来た上司、常務、専務の顔を立てなければいけないから、ここをみんな最初に考えてしまうのです。上の人に嫌われたのでは会社にいられない。だから上司が良いと言うことは全部自分も良いと言っておかないと、俺の立場がなくなってしまう。こういうことを考え出してしまうと、何をやっても非常に難しいところがあります。
ですから消極防衛文化に入らないように組織、会社を運営するというのが変化の時代の1つ大事なところなのです。
もしも消極防衛文化に入ってしまったら、これはもう人事制度、機構改革を真っ先に断行するしかないのです。意思決定のやり方、権限の委譲、これをとにかくやるしかないのです。変化から逃げられないような体制をまず作ってしまうしかないのです。これはだからものすごく改革になります。みんなに一気に責任を与えてしまうしかないのです。そして変化から逃げられないようにする。だからものすごいカルチャーショックが生まれるのです。激震が走ります。でもそれしかないのです。社内の階級制度を全部一気に廃止してしまう。全部能力給に変えてしまう。独立採算性にしてしまう。全部個人が業績の毎日の詰めをやるとか、余程大胆なことをやらないとなかなか消極防衛文化から脱却ができないのです。
そういうことがあって、頑張るということよりも実は業績の良い会社がある。これを是非覚えていただきたいのです。

例えばある社員が、会社に来たら言われたことだけとにかくびっちりやる。しかもなるべく時間をかけてやる。9時ぴったりに来て5時ぴったりに帰る。言われたことだけやるのが精一杯。新しい工夫も何もしない。毎日同じように十年一日のごとく同じことを繰り返している。こいつは余程物事ができない奴だと思っていたら大間違い。家に帰ったら釣りに凝っている。ステーションワゴンを買い、見ると中に釣竿が山のように入っているのです。「この竿はな・・・」と一本出してきて「ここがこうなっているだろう。実は俺がこうやって直したんだ。あそこで鮎を釣るときにはこうやって釣るんだ」などと言って薀蓄(うんちく)話を語らせたらきりがない。
ふと見るとそのひとの釣りの記事が雑誌に載っていたりするのです。「何やっているの?」「実は私、鮎釣りに関しては非常に名人芸で、釣りの雑誌でも紹介されているのです。」ポイントをよく知っていて「あそこの谷はあそこのポイントが良いのです」とか・・・。
釣り竿を買うのも当然全部自腹です。よそに行けば当然時間も食います。釣りのテグスなどをやっているのも、奥さんが飯の時間だと言ってもテーブルに出てこない。部屋にこもって一生懸命テグスを作っている。これは完全無給でやっているのです。誰も給料を払ってくれません。
これが人間というものなのです。1人の人間が全く何の能力もないということはあり得ないのです。要するに嫌だからやらないのです。簡単なことなのです。嫌なのです。しかもそんな人はどうしてそんなに釣竿があるかというと、変化を楽しんでいるのです。つまりやり方を変えてみることによってどれだけ業績が変わるのか。業績というのはどれだけ釣れるかということです。仕事の仕方が変わればどれだけ業績が変わるのか。誰に強制されたわけでもないのに、自分でちゃんと試しているのです。実はそういう能力を人間はちゃんと持っているのです。
要するにその仕事をやりたくないのです。だから基本的にそういう人というのは会社の中でベクトルがよそを向いているのです。端っこを向いているのです。前を向かないのです。根本的に前を向く能力がないかというとそんなことはないのです。自分が何か目標を決めたことに関しては、釣りが好きであればその釣りの目標に向けてちゃんといくのです。そして釣りに関してはきわめて建設的なのです。会社ではただ単に消極防衛的なのです。

なぜ頑張るということよりも強い会社があるかというと、要するに人間は建設的になれる場所が必ずあるのです。だから人を説得して、仕事がどれだけ大切で面白いかを教えてあげて、仕事に対して建設的になるように一生懸命教育をするのです。そうやってできた会社というのは嫌々頑張る会社よりもはるかに強いのです。そこがポイントなのです。
だからあまり難しい話ではないのです。頑張るよりも強い会社がある。楽しくやっている会社が強い。そんなことを言うと昭和時代の常識からすると殴られそうです。野球は楽しくやるのがいちばん強いと言ったら、星飛馬のお父さんにぶん殴られそうです。バットでぶん殴られて、一日中納屋に押し込められそうです。しかしそれは正しいのです。
建設的になったとき、1つの目標に向けてどれぐらい速く走れるかということでいったら、必ずしも一番とは限らない。それはそうです。尻に火が付いて走れば、それが一番速く走れるかもしれない。しかし目標がいつも変わっていく時代、変化が激しい時代、変化に次ぐ変化の時代というのは、1つの目標に向かってどれだけ速く走れるかではなく、変化を自分で見つけていくことができる能力、あるいは変化を自分から起こしていく能力を活かした方が絶対に会社は強いのです。

そこで今人々がやっていることというのは価値観を合わせるということ、仕事をするということがいかにあなたにとって楽しいことであって、意味のあることであり、世の中のためになることであるか、これを徹底的に教えていくということ、つまりリーダーシップ教育です。これが非常に重要になっているのです。
つまり仕事ができればいいというものではない。実務ができるだけではだめなのです。どうしてか分かりますか? 実務ができるだけというのは、ただ単にこの混沌の状況で1人ひとりの能力の長さが長くなるということを意味するのです。
ところが会社というのはどんなに能力の高い人がたくさん集まっても、ベクトルが合っていなければお互いに牽制し合ってしまい、組織としてはまともに動かないのです。だからこの人々のエネルギーのベクトルを合わせないと、方向を合わせて初めて組織というのはまともに動くわけです。そのための教育がリーダーシップ教育というものです。ですから実務教育とは全然別の教育なのです。実務能力の教育とは全く別の教育が必要になってくるのです。
これはただ単に理論を教えるだけでなく、ベクトルを合わせるという作業があるのです。あなたのやっているこの皿洗いの作業がどれだけ楽しい作業であり、世の中で必要とされているものなのかということを本人が納得するまで教えなければいけないわけです。
例えばスチュワーデスという仕事は考えてみればお給仕の仕事です。でもただのお給仕ではないのだ。これがどれだけ魅力的な仕事なのかを教えて、それをみんなが認めているから、ただのお給仕の仕事でもみんな華々しく、楽しそうに働いているわけです。
例えば海の家。私は実家が茅ケ崎なので海の家があります。大体アルバイトをかき集めてやるのです。とにかくこの一夏でいくら稼げるかが勝負だ。サービスも何もあったものではありません。とにかく早く回転させ、儲けようの一点張りです。サービスも何もない。要するに金を儲けたくて来ているのです。金が儲かるから来ているのです。
しかしそんな調子でレストランなんかやってごらんなさい。人なんか来やしません。やはりレストランに行ったのであれば、この仕事の意味は何なのか、どうしてこんな仕事をやっているのだろうかということをちゃんと教えていかなければいけないのです。

リーダーシップ教育をやっているとまず見えてくるのは、社長自身、あるいはその組織の一番の長の人が、自分自身が何のためにこの組織の長にいるのか、組織を持っているのかのその意味を自分がちゃんと語れなければそもそも始まらないのです。
人々のエネルギーを合わせていくというときに、実はこの言葉を言ってもあまり効果的でないという言葉があるのです。みんながよく使うのだけれど、この言葉はあまり効果的でないという言葉があるのです。それは「生活のため」というものです。生活のためにみんなで頑張るという掛け声はよく使われるのですが、実はあまり効果的でないのです。なぜかというと、生活のためであれば何でも人はできるのです。何もその会社にいることはないのです。
今の若い方々、20歳代の方々は就職するとすぐ辞めます。なぜですか? 他に生活の手段がいろいろあるからではないですか。生活のためにここにいろと言うと何が起きるかというと、他に行っても飯が食えない人だけ残ってしまうのです。優秀な人ほどいなくなってしまうのです。生活のために頑張れと言うと、他に行ってはいよいよ飯が食えない人だけ残ってしまうのです。
優秀な人ほどそういう言葉を嫌がるのです。優秀な人ほど、もっと世の中のためとか、あるいは世の中の理想のためとか、人のためとか、技術の未来のためとか、そういう言葉に向かって動いていくのです。
そうなってくると、昭和時代のリーダーがそのままスポッと入ってくるといろいろ問題が起きるのです。言っては悪いけれど、昭和時代の組織においては企業の理念、目標というのはお飾りだったのです。別に関係なかったのです。どんな理念であっても、会社はちゃんとあるのです。地域はあるのです。業界はあるのです。若い人が入ってきて、ずっと上に行ってと、天然自然の現象のように人はいつも循環をしているのです。理念というのはあれば格好良いのですが、別に理念はなくても会社はちゃんと動くのです。みんな理念が変わったから、理念がこうだからと言って人の価値観がよそを向くということはあまりないのです。
私も新入社員で理念とかいって勉強させられましたが、その場で忘れました。手帳に書いてあるだけで、その場で忘れても全然仕事に差し支えないのです。会社の能力は全然落ちないのです。ですから理念というのはあまり意味がなかったのです。効果的ではなかったのです。
それはある意味ではいいことかもしれません。難しい言葉で言わなくてもみんなでチームワークができている。阿吽の呼吸で組織が動いているのだから、考え方によってはその方が本来良いのかもしれないと思うのです。難しい言葉を考えないと人が動かないというよりも、阿吽の呼吸で動いていればそれが最高かもしれません。今になってみればそういう気もします。
しかし今の時代はそうはいかないのです。阿吽の呼吸ですと言ったらみんなバラバラなのです。これを集めるためにはなるべく高尚な言葉でなければならない。なぜならば高尚な言葉であればあるほど、優秀な人が来るのです。それと同時にリーダー、組織の長が嘘をついていたらすぐ見抜かれてしまいます。
つまり俺は生活のために会社をやっているのだ。しかし優秀な奴を集めるためにはこういう看板を掲げなければいけない。だから看板を出しているのだ。すると優秀な人が看板に惹かれて入ってくる。ところが看板と中身が違うではないかと言って辞めていってしまう。よく言います。「人は仕事に憧れて会社に入り、マネジャーに幻滅して辞める。」これは日本だけではありません。そういうことが起きてしまうのです。
ですから今の時代本当に上に立つ人というのは、自分の本当に思っていることを目標に、ビジョンに、理念に掲げるしかないのです。この部分で嘘をつけば必ず人は去って行ってしまうのです。どうしようもありません。仕事をしている間に何が本音かというのは分かるものです。1週間も仕事をしてみれば、その人の本音というのはすぐ分かります。若い人だってみんな分かると思うのです。だからこの部分で嘘をついても持たないのです。

ということは今の時代、どういう人が一番上に立ったらいいか。やはり本当に理念みたいなものを信じて疑わない人が上に立たないと格好がつかないのです。
ですから昭和時代のピラミッドの上に立って調整をやっている人がそのまま平成の時代のリーダーをやると、多くの場合いろいろな問題が起きるのです。昭和の時代の常識でやってしまうので、あれは嘘をついているなと。若い社員が入っては辞め、入っては辞めと。どうして我が社は定着率が悪いのだ。マネジャーが悪いからだと言われるわけです。「かなわんぞ」という声が日本中から今聞こえてくるわけですが・・・。
とにかく今この理念に人々が集まるポイントというのは、実は生活のためというのではなく、もっと高尚なものでやった方が人はよく集まってくるのです。それをよく覚えておかれるといいと思います。
そういう意味で大変まともな時代になっていると思うのです。特に私はアメリカの会社にいたのでよく分かります。儲かるからと言って入ってくる奴ほど下品な奴はいないのです。日本などはある意味で均一な社会ですからあまり感じないかもしれません。しかしマンハッタンにある会社、しかも儲かるときは何千万、何億と儲かる会社に金儲けで入ってくる奴がどれだけ下品な奴かというのは、想像を超えるものがあります。反対に本当に世の中の理想のために新しい理論を作りたくて入ってきている奴は、これまた特別にすごい奴らです。本当に惚れ惚れするような人がいます。
この格差は日本ではあまり見えませんが、外国に行くとものすごいものがあります。下品な人ばかり集まってきた後の会社のひどいこと、ひどいこと・・・。とにかくお客さんからむしり取るだけ金をむしり取って、山分けして、状況が悪くなったらすぐ辞表を出して辞めて・・・。今のウォール街はみんなそうです。
ですから私は根本的に今のアメリカの金融を好きではありません。1993年以降、ウォール街に集まって来た連中というのはみんな金が儲かるから集まって来たのです。ひどいものです。きれいなことを言っているけれど、どうしてやっているのかというと要するに儲かるからです。他に理由はないのです。どれだけ自分が働いている間にお金を儲けて、楽な暮らしをするか。そんなことばかり考えている奴が来ているのです。逆に言えば今から10年以上前のウォール街は決してそういう人ばかりではなかったのです。それはともかく・・・。

やはり何か高い理想、高いこころざしを持っていないとなかなか人は集まってきません。
ちょっとみなさんにお見せしたいものがります。あるリクルート会社がやったのですが、現代の大学生200人にアンケート調査をしました。
「今もっとも関心のある社会問題は何ですか?」
1. 地球環境
2. 教育
3. 国際問題
4. 福祉
経済というのはずっと下の方なのです。
「21世紀に発展する産業、及び企業とは?」
1. 環境問題を考慮して取り組む姿勢がある会社
2. 社会貢献度が高い会社
3. 人材を重視する会社
4. 顧客志向がある会社
「仕事をするのは何のためですか?」
1. 自分の個性を活かし、能力を発揮するため
2. 生き甲斐を得るため
3. 社会に役に立つため
4. 収入を得るため
 さあ、これが今の若い人たちです。この若い人たちが会社に入ってきます。看板を見て、この会社の理念はすごい、やっている仕事はすごいと思って会社に入ってきます。そうすると先輩たちが社会人とはこうやって生きるのだ、社会人の鉄則とはこういうものだと訓示をたれるわけです。

 では会社に入って一体何を若い人に教えるのか。ある本の一節です。「会社って一体何者だ? ぶっちゃけて言えば会社のも目的は銭儲け。その目的をいかに効率よく、永続的に達成するか、それが永遠のテーマなのだ。この集団の目的には誰も絶対に逆らえない。君は自由の一部を売ったのだ。会社とは、つまりそれを構成する人間たちが自分と家族の生活の糧となる金を稼ぎ出すことを目的に行動する集団である。それはお金は誰だって欲しい。だが欲しがってそれぞれが勝手に右往左往するだけでは何も手に入らない。そこで考え出されたのが会社組織というヤツ。複雑な業務を分業化し、構成人員それぞれの役割を明確化することで効率的にお金を稼ぐことができるというわけだ。」これが社会人なのだ。これが会社なのだと言われます。
 何が起きると思いますか? 自分の目指している会社、仕事というものと、これが会社だと言われたこと、そして自分が直面しているこういう現実、あまりにも違います。だから辞表を出してしまうのです。
 今年は平成13年です。あと10年経てば平成23年です。平成23年になれば平成元年に生まれた人が社会人となって世の中に出てきます。もう昭和の時代を知らない人が、あと10年経つと大学を出て、社会人になってみなさんの会社に入ってくるのです。だからこれから10年間は中卒、高卒、高専、専門学校、大学と次々と平成生まれの人がみなさんの会社に入ってくるのです。
そのときにこれをやっていったらどうなると思いますか? 会社は昭和クラブになります。会社は昭和時代の人たちの同窓会になります。平成の人は入ってきません。これは大変なことを意味しているのです。
これは『別冊 宝島』という本から取ったものです。よく売っているでしょう。今私が申し上げたことは、今の日本の社会を見て決して特別なこととは思えないのです。実際にこのように会社というのは動いているところが多いし、そういうものだと先輩が後輩に言う会社も多いでしょう。
しかし何が起きるかなのです。簡単なことなのです。昔みたいに1つの会社にいなければ一生飯が食えないという時代なら、そんなものかな、これも世の中よと言っていたでしょう。煙突に入っていればそのうち良いこともある。出世すれば少しはやりたい仕事もできるようになる。社会ごっこもできるようになる。しかしもう会社は終身雇用を保障しない。長く居ようとしたって、会社がどうなるか分からない。そうすると人は、それでは自分で人生を考えるしかないというわけで会社から離れていってしまいます。
やはりどう見てもこのいちばん上というのはちゃんとこころざしを持ってやっていかないと。さっきの『別冊 宝島』に書いてあったようなことを地で行くようなことを今時やっていったら、人はどんどん辞めていきます。優秀な人から順番に辞めていきます。他の会社に就職できる人から順番に辞めていってしまいます。会社の中に何が残ると思いますか? どこにも行けなくて全部イエスマンばかりになる。
全部イエスマンになった会社はもう完全に消極防衛文化です。自分で問題を言えばお前が起こした問題だと言われる。何か新しいことを言えば自分が責任を取らなければいけない。言い出しっぺだからお前がやれと言われ、失敗すればクビになる。だから言わない。会社はどんどんおかしくなっていってしまいます。

ここで会社の構造というものを変え、やはりこころざしと理想に向かって動いていかなければいけません。1990年代に本当に成功した会社、みんなが尊敬する会社、特にアメリカで尊敬されている会社のほとんどは、やはりこころざしや高い理想を持っているのです。
業績の良い会社と尊敬されている会社は必ずしもイコールではないのです。マクドナルドは業績が良い会社です。しかしあまり尊敬されている会社とは言われません。マイクロソフトも、ビルゲイツは尊敬されています。しかしマイクロソフトそのものはあまり尊敬されている会社とは言えません。
小さい会社でも尊敬されている会社というのはあるでしょう。例えばノードストロームという会社があります。結構大きい会社です。業績も良いし尊敬もされています。非常に珍しいケースでしょう。サウスウエスト航空、アメリカの非常に厳しい航空業界の中で黒字を維持し、顧客満足度も全米№1です。あれは尊敬されている会社です。尊敬されていてなおかつ業績が良いというのは非常に難しいのですが、ちゃんとあるのです。
これから日本も非常に大変な時代になってきますが、完全な二極分化だと思うのです。尊敬される会社というものを目指していったときに、道がどんどん開けてくると思うのです。
尊敬というのは一時的に儲かるとか、巨大だとか、有名だとか、目立つとかいうことではないのです。尊敬というのは非常に難しい、複雑な人間の感情の反映なのです。一般に言えないのです。ある人が尊敬されている、なぜなのか。賢ければ尊敬されるというものでもないのです。金を持っていれば尊敬されるというものでもないのです。金を持っている人に、尊敬しますと言ってやって来ている、金が欲しくてそう言う人も結構多いのです。ですから尊敬というのは非常に難しいのです。しかし間違いなく尊敬というものはあるのです。
その中の1つの大事な要素が、やはり続いているということだと思うのです。今の時代、特に続いているということに関して、人々は大きな価値観を持っていると思います。それは続けるということが難しいからなのです。だから長く続いている、ただそれだけでも、非常に大きな尊敬が集まるというような時代だと思うのです。
尊敬されている会社というのは、それなりに新しいものを生み出す力も持っていますし、人も集まります。だからいろいろな意味で未来が明るい会社ではないかと思うのです。

<従業員のやる気と嫌気>
ひとつそういう理想を作りました。こころざしを作りました。人々を集めてきます。さあ、そのときにやはり気になるのが従業員のやる気というものです。やる気がないとか、やる気がないとか、みなさん非常にお悩みだと思います。
このやる気という問題も、実はリーダーシップの中での非常に大事なポイントなのです。専門家が世界でいろいろ調査をする中で、職場での人間のやる気に関して面白い調査結果があるのです。実はやる気を高める要因とやる気を失わせる要因が別であるということが分かってきているのです。
ある1つの要因がなければ何も起こらない。しかしその要因が出てくるとやる気が高まる、こういう要因があるのです。ある要因がないと何も起こらない。しかしその要因が出てくると、やる気が突然なくなってしまう。こういうものもあるのです。1つの要因が多ければやる気が出てきて、少なければやる気が減ってくる。こういう要因は実はなかなかないのです。それが調査によって分かってきたのです。非常に面白いと思います。
「人々がやる気をなくす要因」
・ 仕事の方針
・ 仕事の監督の仕方
・ 仕事の条件
・ 人間関係
・ その人の地位、仕事の安定性
こういうものというのは、特にその人が不満に思うものがなければやる気は何も変わらないのです。しかし不満に思う、おかしいなと思うものが1つでも出てくると、途端にその人のやる気がなくなってしまう。 
 例えば給料というのがあります。これは仕事の条件です。やる気を高めようと思って給料を高く出すというのは、一般的にはただそれだけでやる気は高くならないのです。給料を高くすると、みんな当たり前と思うだけなのです。
 いろいろな所で、「あなたは今貰っている給料に満足していますか?」という非常に簡単な質問をします。すると非常に面白いことに、多くの場合満足しているという答が帰ってくるのです。実は多くの人は現在の給料に大体満足して暮らしているのです。ある企業に行けば年収2000万円、同じ歳で同じ大学を出ているのに、片一方は年収800万円。しかしそれぞれ満足して暮らしているということがほとんどなのです。
 おそらく会社の給料というのは入るときに大体決まっているので、その給料に納得しているからその会社に入っているわけです。そういう意味で大体満足して暮らしているのだろうと推定できます。
一方、「やる気が高まる要因」
・ 成長と学習
・ 仕事の達成
・ 認められること
・ 挑戦、興味深い仕事ができること
・ 責任が増えること、自由裁量
こういうものはなくても別に何も起こらないのです。なければないで当たり前なのです。別に特に不満には思わない。しかしこういうものが出てくるとみんなやる気が高まってくるのです。

 みなさんにうかがいます。みなさんご自身の経験で、やる気の高い人ほど業績が高いと思われる方、いらっしゃいますか? やる気と業績はあまり関係ないと思われる方? これも非常に面白いと思います。
私もいろいろな所で聞いてみるのですが、やる気といちばん関係あるのは変化だと言います。今の業績にはあまり関係なくても、やる気の高い人というのは変化に対して非常に強い。自分から変化を起こしていく。みんなをリードして何か新しいことをやらせる。これに関してすごくやる気のない人との差があるということをよく聞きます。やはり変化に強いという意味では、やる気というのはかなり重要な意味を占めると思うのです。
やる気がないのに業績が良い人というのはいるのです。ぶつぶつ言ってチームワークを乱すのだけれど、仕事はよくできるのです。こういう人というのは腫れ物に触るような扱いをみんなからされるのです。怒らせないように、しかし仕事ができるのでいていただいて・・・。社長も、ちょっと・・・と思うのだけれど、やはりこの人に辞められると会社の仕事が回らないので、腫れ物に触るようにしていていただく。このようなケースがよくあります。
業績の良い人はすべてやる気が高いかというとそうでもなくて、やる気がなくても業績が高い人はいるのです。やる気が高いと何がポイントかと言うと、変化には強いです。やはり自分から何かやってみるという気は非常に強い。だからみんなやる気がないと建設的文化にはなりません。

さっきの給料に話を戻します。大体給料に満足していると申し上げましたが、人によっては不満だと思っている方もいらっしゃるでしょう。あるいは、社員の人たちから「この会社は給料が低いから嫌です」と辞めると言われた経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。そういうケースで調べてみると、多くの場合、業績評価に対する不満が給料に対する不満という形で出てきていることが多いのです。
給料が安いと言っているケースというのは、自分自身が俺と同じ能力だと思っている人に比べて、自分の方が給料が低いと分かった瞬間に突然嫌になってしまうのです。同じ低い水準であっても、自分と同じ能力だと思っている人と同じ給料の水準なら文句は出ない。しかし同じ能力だと思っているのに俺の方が給料が低いと思うと、たとえ年収でたった5000円の差でも、すごくやる気がなくなってしまうのです。
上司に報告に行くときに、「あいつに比べて給料が低いのは嫌だ」とは決して言わないで、「給料が低いのが嫌だ」と前半を省略して言うのです。だから社長さんは怒ってしまうのです。「出しているだろう。何が不満なのだ。業界の中で非常に高い水準の給料だ。これで不満だというのはけしからん。言う奴がおかしい。こういう若い奴は困る。辞めるのなら辞めろ」と辞めさせてしまうのです。
多くの場合、前半の部分を省略していることに社長さんは気付かないのです。この前半の部分、すなわち「誰それに比べて」という部分はきわめて主観的なのです。つまり会社の評価というものが納得できていない。会社の評価の基準というものが分からないときに非常に大きな不満を持ってしまうのです。
ですから自分が意識している相手が会社の中にいるかもしれない、あるいは会社の外かもしれないのです。同じような仕事をしていて、会社のなかであまりにも給料が違う。こういうことがあると、やはり突然やる気がなくなってしまうのです。
ものの本などを読んでみると、マネジャーとして管理職として、やる気を失わせる要因とやる気を高める要因、どちらに気を遣った方がいいかが書いてあります。普通新しいマネジャーが主任してくると、みんなどうやってやる気を高められるかに一生懸命熱心になるのです。しかしものの本を読むと反対のことが書いてあります。もし管理職として成功したかったら、やる気を失わせる要因を1つ1つ取り除いていけと書いてあります。
過去の自分の経験を照らしてみても、これはそうだなと思います。やる気を高めるときにやる気を高める要因をプラスすることも大事なのですが、やる気を失う要因をそのままにしておくと、どんなにやる気を高める要因が増えていっても、やる気はあまり上がってこないのです。

ですから管理職ができる仕事の中で非常に重要なポイントというのは、例えば仕事の監督の仕方、あるいは仕事の条件、昇進、仕事の安定性、この辺は管理職が、あるいは経営者が管理する立場としてきわめて多くの権限を持って決められることです。反対に仕事の達成、成長、学習というのは本人に帰属することです。管理職というのは環境を作る事はできても、結果を保証することができません。管理職が具体的に権限を持っている、今すぐ変えることができる部分の多くは、やる気を失わせる要因に集中しているのです。
ですからあまり目立つことではないのだけれど、こっちを変えていった方が社員のやる気は結果的には高まってくる。少なくとも不満が出なくなる。不満が出なくなるだけでも随分職場は違うのです。これを熱心にやりなさいと書いてあります。
そういう意味では、人事制度とか、特に給料のことでいったら業績評価なのです。業績評価を本人が納得いくまでちゃんと説明するということが大切なのです。業績評価のやり方というのは千差万別でいろいろあります。能力給とか業績給とか、そういうもの全くなしでやるというやり方、いろいろあります。しかし何があるとやる気がなくなるかというと、本人が自分の評価の結果に対して納得しない場合です。本人が納得すれば、一応やる気はなくならないのでしょう。昇進もそうです。あるいは仕事の監督の仕方、上司が逐一チェックするやり方、あるいは任せるやり方、この辺に関しても、「君の仕事ぶりはこういうことだから、自分は調べているんだ」とか言って、本人が納得すれば不満にはならないのでしょう。
だからこの部分というのはある意味で言うと説得の大切さと言ってもいいと思います。ルールを説得すること。ルールが納得してもらえれば、それはあまり不満にはなりません。
例えばこの中で社長さんであったら、世の中が厳しいということに関して不満を持っても納得する以外にありません。経営者であれば誰も助けてくれない。世の中をどんなに恨んでもどうしようもないので、納得して、その分に関しては大変だと思ってもやる気がなくなるということにはなりません。
ところが会社の中、組織の中というのはルールを決めている人がいるのです。だから必ず不満の矛先があるのです。本人に納得してもらわないと、どんなことを入れてもなかなかこういう部分というのはうまく回っていかないのです。
時代に合わせた新しいやり方というのが本を見ればよく出ています。しかしどんなものを入れたって、本人が納得しなければそれは何の意味もありません。反対にもっともっとやる気を失った人を増やすだけです。

それと同時に、1つのやり方で全ての人を満足させるやり方というのはなかなかないのです。もしそういうものがあったら、世の中こんなに人事制度なんてものはありません。人事に関するいろいろな揉め事が起きるわけがないのです。すなわち1つのやり方で全ての人を満足させるやり方というのはないのです。だからいつもいつも変化して止まないわけです。
だからこの部分というのはある意味でいうと、非常に手間隙かけて納得させる、ルールを説得させるのです。でもただ単に説得して押しつけるという意味ではなく、当然自然に声を吸い上げて変えていくという努力も大切です。
とにかくみんなが納得するということが大切なのです。この件で言っても、トップダウンで「やれ!」というやり方はある意味で危険なのです。俺はルールを作る人、お前はルールを守る人。昔、コマーシャルで「あなたご飯を作る人、私食べる人」とやってどこかの会社が大騒ぎになったことがありました。やはりこれは調子悪いのです。本人は黙っているけれどやはり不満が高まってくる。そうすると自然に仕事にブレーキがかかってくるのです。はっきりと本人が言わなくても、やる気がなくなっていってしまいます。
やる気を失わせる要因をなくすために、マネジャーとして非常に気を遣わなければならないこと、この部分の要点は、納得してもらうことだということです。コミュニケーションも非常に大切になってきます。

今度、やる気を高める要因。成長と学習、以下ありますが、これを順番にやっていけばいいのです。人に学習してもらう。学んでもらって成長してもらいます。要するに何を学べば成長するのかという学ぶ内容をよく選ばなければいけないというのが企業内教育の1つのポイントなのです。これはいずれ機会があるときにお話しします。とにかく学習をしてもらい、成長してもらう。成長すれば仕事が達成できます。仕事が達成できれば認めてあげればいいのです。そうしたら今度は新しい仕事に挑戦させてあげればいいのです。同時に興味深い仕事をさせてあげればいいのです。
ところがそのときに仕事をさせるのはいいのだけれど、権限を与えない、責任を与えないで仕事をやらせると、すなわち何かやらせても課長や部長が最後自分でやって直してしまう。こういうことをやると本人やる気がなくなってしまいます。だから責任も与えてあげればいいのです。自由裁量も増やしてあげればいいのです。そしてより良い仕事ができるようになったら、本人はまた成長します。学習意欲も増します。そしてまたさらに高いレベルの仕事を達成できる。
やる気を高める要因というのは、学習、学ぶ、勉強するということをスタートとしてやっていけば、実は好循環を作ることができるのです。そういう意味で、やる気を高める要因の中で、やはり学ぶというところからスタートするというのは非常にポイントだと思うのです。

経営者としていちばん大切なことは何かと世界の経営者に話を聞いてみても、みんな異口同音に言う言葉が「勉強」という言葉です。経営者としていちばん大事なことは勉強だと言います。勉強というのは英語で言うとLearningという言葉です。Learningというのは日本語で言う勉強という意味です。びっくりします。海外の大企業の経営者などでも、経営者としていちばん大事なことは何ですかと聞かれると、勉強だと言うのです。すごいです。
最近日本人が非常に嫌がる「勉強」という言葉。何か面白いです。本当に随分昭和と変わったものです。
この勉強というものを基本にやっていかなければならない。そうすればやる気は高まるのです。この中で1つのポイントは勉強には時間がかかるということなのです。勉強させるとか、挑戦させるとか、興味深い仕事を与えるとか、自由裁量というのは、ベテラン、仕事がよく分かっている人がやれば一瞬でできる仕事を、人に勉強させてやらせるとすごく時間がかかるのです。ムズムズしてくるわけです。こうやれ、ああやれと分かるのに、やらせようと思うと大変時間がかかるのです。

ということはこの変化に次ぐ変化の激しい時代に、時間を確保しないとやる気を高める要因というのは育てることができないのです。実は経営者というのは、あるいはマネジャーというのは時間をかけないと、時間を作らないといけないのです。人を学ばせて成長させて結果が出るまでのこの時間を作るというのが今の経営の中で非常に重要な問題なのです。忙しい時代であればこそ、時間を作らないと人は育たないのです。
例えば経営者、あるいは管理職の人が非常に問題の認識能力が低かったとします。目の前まで何か変化が来なければ変化に気付かない。何が起きると思いますか? 全ての問題は全て緊急の問題として起きるのです。起こること、事件が全部緊急の問題、全部危機なのです。そうすると任せる時間なんかありはしない。だから全部トップがトップダウンで変えていくしかない。いつまで経っても人は育ちません。
だから時代が悪いのではないのです。経営者が、管理職が事前に問題を察知して、次はこういう変化が起きる、次はこういう問題が起きる、こういうことが次には必要になってくる。これをなるべく早く察知して、それに向けて必要な教育、学習をさせていかない限り、実はこの時間は確保できないのです。
見ていて思うのですが、ある意味では従業員のやる気を高めるために必要なことは先見力だと思います。従業員のやる気を高めるために何がいちばんのツボになるのか。これは私がずっと見ていて思うことですが一番はトップの先見力です。トップの先見力がないと会社に時間が生まれないのです。いつも緊急の課題、非常事態、緊急対策。どこかの政府みたいですが、いつも緊急対策が必要になってくる。毎年緊急対策になってしまうのです。これでは人は育ちません。
だから先見力を磨いてください。考えてください。目の前に結果が出る前に、どういう結果になるかを考える力がないと、時間は生まれないのです。
いろいろな所をも見ていても、最近よくパニックを起こす人がいるでしょう。あれは全然予想もしていないことが突然起きるからパニックが起きるわけです。あれでは人は育ちません。ですから先見力を磨いていくことが大切です。

<時代を読む力>
いちばん最後、「時代を読む力」とあります。ここがポイントなのです。時代を読む。やはり会社がどうなっていくのか、人がどう変わっていくのかを読まなければだめなのです。未来というのは非常に不確定なものなのです。ですからどこかの予言師みたいに正確に予言するということはできません。
しかしやはり真剣に学んでいけば、どこかで直感で見える部分が出てきます。技術の動向であればある程度はわかるでしょう。やはりそういうものを活かし、時代を読むということは会社の中にまだまだ間に合うという時間を生んでくれるのです。時間があれば人は育つのです。人が育てば楽しく変化に対処することができます。
時間がないと、育っていないと変化は常に危機なのです。だから良くて頑張るという態度、積極防衛文化、悪ければ、そしてほとんどのケースは消極防衛文化にいってしまいます。
変化を楽しむためには、変化というものが分かっていて、乗り越える実力がなければだめなのです。それを作らなければいけない。育てなければいけない。そのために必要なのは時間であり、時間を育てるために必要なのは時代を読む力ではないかという気がするのです。

今日こうやっていろいろお話し申し上げました。一番のポイントは、昭和時代と今は時代が違うということなのです。なぜ大逆転と言うかというと、昔の常識と今の常識は全然変えていかないと、会社というのは続いていかないのです。
この新しい平成の常識の中でリーダーとして有効に機能していくにはどうしたらいいか。それはちゃんと理論としてある程度あります。と同時にそれを頭で分かるだけではだめで、やはり行動力が伴わなければなりません。そのためにいろいろ訓練が必要になります。日本経営品質賞などでもリーダーシップの訓練などがすでに始まっています。人々がいろいろな所で取り組んでいます。
私は思うのです。あと10年経つと、この新しい現実を前提とした素晴らしい会社が日本にもいくつも出てくると思います。それは決して今の時代に有名な会社とは限りません。必ずしも大きい会社とも限りません。必ずしも若い人だけがやっている会社とも限りません。しかし10年後に素晴らしい会社だと言われている会社というのは、おそらくこの平成の現実というものをちゃんと前提にして、この平成の現実、すなわちきわめて自然な現実の中で機能する仕組みを持った会社だろうというような気がするのです。やはり10年後に尊敬される会社を目指して、10年後に素晴らしいと言われる会社を目指してやっていかれるべきだと思います。
Performance Excellenceという言葉の中のExcellenceという言葉は素晴らしいと訳しています。Performanceというのは業績と言いますが、あれはとにかく「経営全体が」という意味なのです。経営全体が素晴らしい。そういう会社を目指しましょうという意味なのです。何を持って素晴らしいと言うか。この定義からしてこれから変えていかなければいけないところなのです。
ですからみなさんこうやって勉強される中で、10年後に「あの会社は素晴らしい」と言われる会社を目指してやっていただければ、会社の良くなるし、みなさん自身もやりがいが出てくるでしょうし、地域も良くなるし、日本も良くなるし、世界も良くなるし、いろいろと良いことづくめではないかという気がします。
いろいろ具体的なお手伝いがみんなでできる体制ができています。そういうものも活用されながら、最後はご自身が一人1人のリーダーとして意気込みを持ってやっていただければと思います。

この後、質疑応答です。とりあえずお話の方はこれで終りにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

<質疑応答>
質問票の方からいきたいと思います。差し障りのないように読んでまいります。
企画系と現場の人間が一緒にいる職場をまとめるマネジャーの方からのご質問です。

【質問】一つの方向性を向かせる、あるいは全員が積極性あるグループを目指し、グループ内の活性化を心がけております。しかし階層が異なる人間の集まりで、なかなか同じ話でベクトルを一つに向けられません。具体的には大久保さんの本「経営の質を高める八つの基準」で全員の勉強会を始めたのですが、「JQAが大切であるということは何となく分かった。しかし難しくてついていけない」との不満が出てきてしまいました。違う階層を束ねる良い手法はありますでしょうか?
【藤原】基本的に今の時代のリーダーシップということに関して、昔も今も一人ひとりにとって大切なことは全体にとって大切であるということは実は何も変わっていないのです。階層が違ったときに、例えば昔で言えば経営者と労働者がいて、労働者が会社を潰すことをやったらやはりみんな困るわけです。また、経営者が労働者が困ることをやり過ぎればやはり会社が困る、全員が困る。そういう意味では、全員が一蓮托生であるということにおいては実は何も変わりはないのです。その構造が違うだけであって、一蓮托生の運命にある、階層が違っても一蓮托生の運命であるということに関して、何の変わりもないのです。
労使の問題などを見れば分かりますが、それがわかっていても実際には対立する問題、特に階層が違うというようなことの場合にはよくそれは起きるのです。逆に言うと起きないと思う方が不思議だと思います。
それで人々が考えているのは階層をなくすことなのです。いわゆる管理職というものの制度を非常に簡素化し、中間管理職をどんどん減らして階層をなくしてしまう。階層をなくすことによって、お互い守るべき権益というものがなくなったり、無用な対立がなくなったり、情報の隔離がなくなる。ですから階層をなくすというのが一つの方向性として出てきています。
さはさりながら、現状にある階層の中でやはりいろいろなことが起きるわけです。でもこれは私の意見というだけではなくて、いろいろな事例を見れば分かるとおり、熱心に勉強会をやっていくしかないのです。
私も大学などで教えるということをやっている立場から言えば、教え方というのはあると思います。私が最初大学で教員をやるときに、自分の恩師に「教育の原点というのは多様性を認めることなのです」と言われたのをよく覚えています。11年前、始める前によく分からなかったのです。
当時私は文科系の学生に数学と統計を教えていました。地獄のような時代でした。私が最初教えたのは一学年170人なのですが、数学を履修して単位を取らないと卒業できないという所だったのです。一年生171人に教えるのですが、取り損ないがいっぱいいて、総勢311人いました。黒板に向かって311人に大学の数学を教えるなんてほとんど不可能なのです。
何が多様性なのかなと思ったのですが、だんだん分かってきたのです。学ぶということに関して言ったときに、言ったことを理解させると、限界までいっても理解させたことしか分からないのです。しかし学ぶことは楽しいと思うと、本当に人は自分から学んでいきます。特に集合研修、みんなの前で教えるときにおいていちばん何をやったら教育効果が高いかというと、学ぶことは楽しいのだと教えることなのです。
学ぶことは楽しいというのはどういうときに生まれるかというと、学べば俺にもチャンスがある、学べば俺だって分かるのだということを本人が直感で感じる時なのです。すなわちそれは多様性を認めることとほとんど同じなのです。
つまり人はみんな違うのです。生まれ持った境遇、自分の目指しているところ、持っている能力、みんな違うのです。しかしこれをやると自分もうまくいくかもしれないと思わせること、すなわちそれは教える側が「みんながうまくいくんだ」という思いを必ず持っていなければだめなのです。
ある一つの教える内容をどこまで理解するか、ここで基準を持っているから教育というのは爆発的な効果を得られないのです。どんなにやっても教えた内容をどこまで理解しているか、漢字の書き取りと同じ範囲でしか教育の効果はないのです。
しかしもっと上をいく教育の効果というのはあるのです。多様性を認めてあげて、みんなうまくいくんだと思わせてあげ、そのとおりの道をつけてあげることなのです。そうすると細かいことは1教えるだけでいのです。あとの9は本人が自分で学んできます。これが教育の秘訣ではないか、自分自身やっていて思うのです。
ですから教えるということに関して少し工夫なさってもいいと思います。JQAは難しいのです。それはもう当然です。非常に膨大な体系だし、具体的にやろうとすると難しいです。しかしやっていくと面白いのだと。
「やっていかないとクビだ」というのがあります。そういう脅迫というのもあるのです。しかし脅迫よりももっと良いやり方は、楽しいのだと、「この会社を離れてもこれを学んでいけば一生食いっぱぐれない」という脅迫の仕方もあります。もっとスマートな脅迫の仕方です。
あるいは「これを学んでいけば尊敬される。他の会社からも引っ張りだこになる」というものの言い方はもっと人を元気付けるでしょう。そして本当にそれを信じて一人ひとりに合うようにいろいろな言葉をかけてあげるのです。非常に泥臭い言い方ですが、そういうことが大切かなという感じがします。
教え方に関してはいろいろな先生がいろいろなことを言っておられますし、そのいろいろな方をご参考になさればよろしいのではないでしょうか。 

【質問】管理職が絶対に口にしてはいけないことは何ですか?
【藤原】簡単に言えば「あなたにはチャンスがないのだ」ということでしょう。この理論から言えば、管理職がやってはいけないことというのは一つはっきりしているのです。何だと思いますか?「飼い殺し」ということなのです。口にしてはいけないことではないにしろ、現代の組織において、やってはいけないことは飼い殺しということなのです。
飼い殺しというのはどういうことかというと、能力のある人を連れて来るのですが、本人の意思に沿わないような仕事をさせ、しかも会社から逃げられないようにしてやる気をなくさせ、能力をどんどん陳腐化させて時代遅れの能力にさせていき、そして最後に放り出すということです。するとこの人は何の能力もなくなってしまって、何のやる気もなくなってしまい、抜け殻のようになって会社から放り出されるのです。こうなるとこの人は次の就職はありません。もう社会人をやっている気力さえなくなってしまいます。
 おそらくやってはいけないことというのはこのことでしょう。飼い殺しというやつです。これは今非常に多くの所で行われていませんか? 
 昔は一つの会社に長くいればそれなりに報われたので、基本的には飼い殺しということはなかったと思うのです。全くないこともないですが・・・。しかし今の時代の飼い殺しというのは非常に簡単にやってしまうのです。時代が変わっているのに昭和の時代の常識で会社を運営していると、実は飼い殺しをすぐやってしまうのです。これは非常にいけないことです。
ですから早くクビにしてあげた方がいいのです。まだ能力が残っているうちに、まだやる気があるうちに次の道を見つけてあげるべきなのです。もうとにかくこの会社のしがみつく以外にどうやっても世の中で生きていきようがないというまで会社に縛りつけること、それがいちばんやってはいけないことでしょう。私はそういう感じがするのです。
ですから広い意味でその人のポテンシャルを削ぐようなことはいけないということではないでしょうか。

【質問】悪い話はどうにもトップに持って行きづらい。どうしたらトップへ悪い話を持って行くことができるのですか?
【藤原】やはり誰か人に頼むというのがあります。コーチをつけるというのがよくありますが、コンサルタントや講師、先輩など、いろいろな人の口から言ってもらうということがあります。
 しかしなかなか難しい。誰が言っても、大体思い込んでいる人というのは思いを変えることはありません。そうい意味では非常に大変なことは間違いありません。
 例えばいちばん初めにお話ししたある企業の例でいったら、まさに講演会の場というのがトップのいちばん聞きたくない話を聞く場になってしまったわけです。トップダウンで全部やればいいと思っていたところが、そうではないという話がいきなり社員の目の前に出てきてしまったわけです。おそらく相当な狼狽があったろうと思います。実はそれも一つのやり方ではあったのです。結果的にそうなってしまったわけですが、ショック療法だったのです。
しかし一般的には勇気を持って言うしかありません。やはりみんなのためにやるしかないのだということで、勇気を持って話をする。基本的にはそれ以外にないのではないでしょうか。あまり姑息なことをやってもなかなか通じません。老練な方が多いので、小賢しい戦略を持っていくと全部吹き飛ばされてしまいます。やはり勇気を持って正論を言うということではないでしょうか。それがいちばん強いような気がします。

【質問】長く続く企業、尊敬される企業には、高い理念・理想が必要であるとのことでした。バブル期の住友、三井、安田等、日本を代表する長い歴史を持つ先頭集団は、果たして家訓や昔から伝わっている教訓などをどう考えていたのか、各企業の理念は何だったのか学んでみたく思いました。
【藤原】私はその時住友にいたのです。住友というのは「浮利を追わず」、浮いた利を追わずという有名な家訓があるのです。私が会社に入った時も、それは家訓みたいなものでありました。
 例えば住友電工にはトップに亀井正夫という有名な人がいました。一九七〇年代に銀行が「住友さん、ゴルフ場を作りませんか」という話を持ってきたのだそうです。常務以下役員は、たまたま遊休地もあるのでやろうと思って案を持って行ったら、社長だった亀井さんが蹴飛ばしたのだそうです。「ばかなことをやるな。これを『浮利を追う』と言うのだ。」そしてそのゴルフ場の話を全部ひっくり返したという有名な逸話が残っていました。
 しかし1980年代に入って本格的なバブルになると、やはり時代が変わっていったのです。「儲けなければいけない」という新しい変化がやって来たのです。実力があれば、良い製品があれば良い会社なのだという時代から、儲かる会社が良い会社だという時代に変わって行ったのです。業種は問わない。やっている仕事の内容ではない。儲かる会社が良い会社、尊敬される会社なのだと1980年代、バブルの時代に変わっていったのです。
その時住友グループにはいろいろな噂が起きたのです。もうここで言うまでもありませんが、金屏風事件などがありました。
全てはまたそれが終わった後に起きたのです。住友銀行は大変な目に遭ったのです。住友グループから吊るし上げを食ったのです。「お前は何だ。1980年代に入ってお前のやっていることは住友グループを小馬鹿にしている。住友林業、住友重機械、住友電工など、こんなチンケなメーカーは何だと言わんばかりに本当に馬鹿にしくさっただろう。金をたくさん持っているから、俺はいちばん強いのだという顔をしていたのだろう。何だ、このザマは。これが『浮利を追う』というのだ。分かったか」と散々住友グループからやられたのです。当時住友銀行は総合研究所を作って住友総研としようと思ったのですが、住友なんて名前をつけることは許さんというので、日本総研という名前になったのです。そういうことがあり、「浮利を追わず」という家訓で一つの物語がありました。
しかし現実的にそれから10年経った今、「利」というものがもう浮利だか何だか分からなくなってしまったのです。技術の会社といっても、技術なんてたくさんあるわけです。当然お金になる技術とならない技術があるわけです。一方で株主のことを考えろなどといわれてくると難しい。
それから製造設備なんていちばんいい例なのです。自分の所で作らなければいけないという伝統が昔からありました。なぜならば生産技術というものがないとやはり会社は発展しない。生産の現場があるから生産技術があり、研究開発部門も生産の現場と一緒にあるからうまくいくのだと昔は言っていたのです。しかし今はシンガポールか何かのコントラクトマニュファクチャラーあたりにこんな製品を作りたいとスケッチを一枚渡せば、設計図から生産まで全部やって住友のロゴを付けて納品してくれるわけです。
どちらをやったらいいのだろうかということになってくると、コントラクトマニュファクチャラーにアウトソーシングで作らせることは浮利なのかと言ったら非常に難しいわけです。ゴルフ場、ボーリング場を作る話なら浮利と言えるかもしれない。それではコントラクトマニュファクチャラーに作らせるのは浮利かというと、それはよく分からないのです。そういう意味ではその家訓は随分空洞化しています。
思うのですが、住友グループなどもそういう家訓を現代の意味に翻訳するという作業を怠っています。その家訓を現代に生かしたらそれは何を意味するのか。「浮利を追わず」の現代的な意味を、もっと現代の状況の中で今の会長、社長たちが解釈し、社内に徹底させなければいけません。これはやってもいい、これはやってはいけない。なぜならば「浮利を追わず」というのがあるからと現代的な意味をきっちり決めないとだめです。
だから結局どうなったかというと、住友銀行みたいなスキャンダルさえやらなければ儲かることは何でもいいやということになってしまい、だんだん地盤沈下していってしまったのです。そういうふうになってしまうとうまくまとまりがつかなくなってしまいます。
私は住友グループのことしか知りませんが、住友はそういう事例がありました。やはり長く続いている企業であっても、その時々にすごい大きな試練があるのです。その試練を受けたときにその家訓に基づいて行動できるかどうか、あるいはその家訓の現代的な意味が理解できているかどうか。この辺がどうもカギになりそうです。
ですからみなさんの中で長く続いている会社を継いでいらっしゃる方というのはくれぐれも気を付けてください。みなさんの代において古い言葉だと思っていた言葉をどう解釈するのか。やはりこれが常に問われるのだと思います。

【質問】新しい時代のリーダーシップが、人を楽しくさせながら人を目的に向かってチームワークを持った行動させる力であることが良く分かりました。ところで現実の問題として、経営者としてのこれからのデフレ対応が悩みのタネです。デフレへの対応などをお教えください。
【藤原】ちょっと申し上げたいのは今日のレジメのいちばん最後です。「時代を読む力」と書いてあります。今、実は経営者が対応しなければならないのは何なのでしょう? デフレへの対応でしょうか? インフレへの対応なのです。ここが時代を読む力ということなのです。
 正直言って、今からデフレへの対応を本格化して実行に移す時にはもうインフレになっているでしょう。だから緊急インフレ対策が必要になってきます。今経営者がやらなければならないのはインフレ対策です。
 デフレというのはとにかく値段が下がるので下げていけばいいのです。不要な物でも、社会の人たちにとってあまり必要ないと思う物であっても、安ければみんな買ってくれるのです。世の中見てください。どんな物でも安ければみんな売れるでしょう。とにかくどんどん値段を下げていき、ただみたいにしていけばみんな持って行ってしまうのです。
 時代を読むという上で、今いちばん大事なことはデフレ対策ではありません。今経営者がデフレ対策をやっていたら、もう完全に手遅れです。インフレ対策なのです。10年ぶりのインフレなのです。
過去11年間、1990年代の10年間、これがデフレの時代です。どんどん物の値段が下がり、経済が収縮していきました。11年目に入った今年、いよいよデフレからインフレへの転換が始まってきたところです。実は東京の赤坂の一角で土地の値段が上がり始めている所があります。最先端ではもうインフレは始まっているのです。ですから今11年ぶりにデフレからインフレに転換しているところです。
くれぐれも政府がデフレと言った時からデフレが始まるなんて思わないでください。日本政府なんて典型的な消極防衛文化ですから、彼らはとにかく変化を嫌います。いつも平常に動いていることが好きであります。ですから政府がデフレというのは最後の最後なのです。日本生命が相場感を言う時はその相場が終る時だとよく言われます。大体相場の転換点や時代の転換点というのは消極防衛文化の人が気持ちを変える時です。ですから政府がデフレだと言い出した時はもうインフレが始まっている時なのです。すなわちデフレはもう11年前から始まっているのです。
デフレとインフレでいちばん違うところ。インフレというのは値下げをする能力が企業の強さを決めるのではないのです。デフレの時代は値下げの能力が企業の強さを決めました。インフレの時代は違います。値上げをできる能力です。売値を上げてもお客さんが離れない実力を持った商品を持っていること。これがインフレ対策なのです。今、みなさんが売っている商品、サービス、値上げをしてもお客さんはちゃんと買い続けてくれるでしょうか。もし不要なものであったら決して買ってくれないでしょう。
なぜでしょうか。インフレというのは物の値段が上がっていくことなのですが、まず生活必需品から順番に上がっていくのです。だから燃料が上がったり、食料が上がったり、それから給料が上がるというのも余程世の中で必要とされている人の給料からしか上がっていかないのです。不動産もほとんどの不動産は値段が上がらないのです。インフレになって上がる不動産というのは、最初のうちは千分の1、万分の1です。どうにもならない不動さんが値上がりするのは、おそらく30年後、40年後です。
ですからインフレというのは基本的に物の相対価格の変動なのです。上がらないもの、役に立たないもの、売れないものは何十年間も値段が上がらないのです。これがインフレの時の姿です。上がっていくものは本当にその時になくてはならないものなのです。貨幣価値がどんなに変わっても、人の生活はなくならないのです。ですから人の生活に必要なものから順番に値段が上がっていくのです。これがインフレなのです。
だから最初に上がるものは必要なもの、最後まで上がらないものは必要ないものなのです。自分の商品、サービスがどちらに入っているかがこの時に生きてくるのです。
デフレの時代は、どんなものでも値段を下げれば売れてしまうのです。無理矢理でも下げていけばどんな変なものでも売れるのです。しかしインフレになったらそうはいけません。必要なもの以外、値段を上げることができないのです。
デフレからインフレへの転換は、一つの日本の大きな時代の変わり目を意味すると思います。インフレになっていくと、今の時代に必要な物だけが残っていきます。不要なものは消えていきます。すなわち新しい時代が見えてくるのです。
デフレはとにかくみんな壊れて潰れてバラバラに広がるだけです。デフレの時代は物価が上がらないので、キャッシュさえ持っていれば生き残れるのです。値下げさえすればどうにか売れるのです。
しかしインフレになったらそんなに甘いことはありません。インフレになった時に値上げができないと、給料を上げることができません。良い仕入れをすることができません。どんどんクオリティを悪くしていくしかないのです。クオリティを悪くしていったら間違いなくお客さんは離れていきます。そうしたら間違いなくそれは市場から淘汰されてしまいます。
インフレが始まっていたら、クオリティを維持するために高いクオリティを持った人を雇うための高い給料を払わなければなりません。良い原料を仕入れるためにそれだけ高いコストを払わなければなりません。その高いコストを回収するために値上げをしなければならないのです。値上げをしたときにお客さんが離れてしまう商品では、インフレには勝てていないということなのです。
ですから今いちばん大切なことは、値上げができる商品を作ることです。世の中にとって必要な商品は何なのか、自分の商品のラインナップを見てみることです。なければすぐに作るということです。もうほとんど時間はありません。
インフレは突然やって来ます。そしてやって来たら本当に早いのです。音をたててひどくなっていきます。たった1年で金利なんかすぐ2倍になります。今、長期金利が1.3%ぐらいでしょう。あんなもの、3%になるのはあっという間です。相場さえ暴落すればあっという間になります。インフレは始まってからは早いのです。あっという間ですから、くれぐれも気を付けてください。
まさに時代を読んで、今デフレだからこそインフレの対策が大切だということです。

【質問】小泉首相を評して。何をやるのではなく、今までの非効率なことをやめる、理念のない具体策を述べるより、具体策の理念を語ることを重視するというのが実感です。こんな人気だけの首相を見抜けぬほど日本人の多くが愚かになったのか、残念です。政策のない政治家に任せて日本は大丈夫か。京都議定書の問題のように、ぎりぎりまでアメリカを説得するなどと言いながら、結局は決断しない先送りのように見えます。どうなのだろうか、どうするのがよいだろうか考え、様相をコメントしていただきたくお願いします。リーダーシップを発揮しているのではなく、その振りをしているように見えます。
【藤原】これはいわゆる時局分析です。藤原塾の方でいつもこういう話をするのですが、話せば非常に長くなってしまいます。
しかしどうも小泉さんも本格的な次の時代の創造主ではないようです。アメリカに対して他にも結構変な譲歩をしていて、日本は今大変な危機に来ています。アメリカに食われてしまうような、最後のぎりぎりにところに来てしまっています。そのうち小泉さんのやった仕事がみんな明らかになると思います。とんでもない屈辱的な合意をアメリカとの間で結んでいるのです。
実はその内容というのは官邸のホームページにも出ているし、新聞にも報道されているのですが、何を意味しているのか多くの日本人は気が付いていないのです。
でも小泉さんを選び圧倒的に支持して、今度の選挙で自民党がすごいと票を入れるのは日本人ですから、天に唾するというのはこういうことなのです。本当に天に唾するというのはこういうことです。やはりバラバラになってしまってみんな何を勉強したらいいか分からない。その時に何かちょっと目の前で面白いことがあれば付和雷同する。だからこんな状況なのです。バラバラだった人たちが、「小泉ちゃん面白いんじゃないの? 田中真紀子さん面白いんじゃないの?」と注目している。それだけなのです。
ところがこの注目している内容というのが非常に不安定なものなので、消えるのも早いです。あーあと思ったら、パッと飽きてしまうでしょう。何かここに次の未来の日本というような確固たるものがない。だからやっていけばやっていくほど、矛盾に満ちたものが見えてきてしまうのです。だから時間が経てば経つほど、あーあとなるリスクは大きいでしょう。
あの人がアメリカで何を約束してきたのか。実は都議定書だけでなく、もっと重大な問題がたくさんあるのです。何をやろうとしているかということに関しても、問題がたくさんあります。その辺は藤原塾などでもやるところなので・・・。
リーダーシップを発揮していないということもないのでしょうが、このこころざしの中の具体策のところに非常に問題があります。いずればれてきて大騒ぎが起きるだろうと思います。選挙の前は起きないでしょうが、秋口が厳しいです。
そうすると日本人も非常に嫌悪感に満ちると思います。「ああ、どうしてあんなのに票をいれたのだろう。俺たちはこんなふうにヒットラーを選んでしまったのか」ということが起きるのではないでしょうか。情けない話ですが、選挙前なのであまりそういうことを言っていると差し障りが出ますので・・・。

【質問】ワールドレポートはどれぐらいの時間で書いているのですか?
【藤原】私は週に1回レポートを出しているのですが、早いときは3時間ぐらいで書きます。ゆっくり書くときは6時間ぐらいかけて書きます。平均して4時間半ぐらいだと思います。一気に書くのです。あまり書きだめをしないようにして書いています。その方が自分では面白いと思うものが書けるのです。

【質問】時代を読むためにどこのアンテナを張っていればいいのですか? 情報はどこから手に入れているのですか? 
【藤原】情報というのは2種類あるのです。これは是非みなさん知っておいてください。英語で言うとはっきりするのですが、1つがインフォメーション、1つがインテリジェンスです。
 インフォメーションというのはニュースと言い換えてもいいです。インテリジェンスは教養とか言います。要するに何が起きているか、ニュースを全部総合して、世の中で起きていることの構造や本質を見抜く推理の部分がインテリジェンスというのです。よくスパイという意味でも使います。要するに何が起きているのだろうか、その最後の結論の部分をインテリジェンスと言うのです。
 私の場合のことを言うのであれば、インフォメーションを得るためのニュースソースは非常にたくさんあります。でも特にこれといって特別なものはありません。新聞、ニュース、テレビ、人の話、雑誌、何でもあります。
 例えば今日私が水戸駅に着いた時に鬼澤君が迎えに来てくれました。すごく暑かったのです。そして彼に聞いたのです。「今年は作物の出来はどうですか? 果物は美味しいですか? 不作ではありませんか?」それは私は1つの意図を持ってニュースを入手したのです。つまりもし不作だったら、これはとんでもないインフレのリスクだからです。茨城県は農業県です。農業県で作物が不作だったら、日本中にインフレが急速にやってくるリスクがあるのです。そこで私はなぜ聞くかは言わないで、不作かどうか、果物の作柄はどうか聞いたのです。「そんなに悪くない。」と彼が言いました。それではとりあえず茨城発のインフレは来ないかな。それがインテリジェンスの部分です。
 ですからどこにアンテナを張っているかというと、いつも張っているのです。何かチャンスがあれば人に話を聞いてみたりします。別に意図して聞くものだけではありません。ふと振りかえってみると、あいつあんなことを言ったなとか、あんなものがあったなと。
結局そのインテリジェンスというのは、無数に世の中に転がっているインフォメーション、ニュースの中から、考えるというプロセスによって生み出されるのです。think、推理です。最後の結論というのは当然推理で出てきます。
しかしこの最後の結論だけを聞いても普通人は納得できないのです。本当かなと思うだけです。ノストラダムスの予言とかがあるでしょう。最後の結論だけ聞いてもみんな納得できないのです。
納得できない結論というのは聞いても本人を動かす行動力にならないのです。ましていわんや組織のリーダーとして人々を引っ張っていく責任ある言葉として使うことは到底できないのです。特にリーダーが時代を読んで、会社、人々を引っ張っていくときには、本人が本当に納得し、腹の底からこうだとみんなを説得できるものでなければならないのです。説得できるものというのは本人が考えて出した結論であるということなのです。考えて納得するというプロセスが本人の中にあってはじめて、その最後の結論というのは行動力に結びついてくるのです。
このインテリジェンスの部分を、いろいろな人の意見を順番で聞いている人がよくいるのです。悪いとは言いません。しかしそれだけでは行動力の源泉にはなりませんよということです。
それでは実際に命にかけてやってみろと言われればリスクが大きいという話になってしまうのです。自分で考えてこうだろうと思えば、一歩足が前に出ます。しかし聞いた話だと、そうかなと思って結局先に進めないのです。
だからインテリジェンスの部分をかき集めてきてもあまり意味がないのです。ニュースを集めるのとほとんど変わりません。どこに違いがあるかというと考えるということです。いろいろな所でたまたま入ってきたニュース、意図的に集めたニュースを考えて、どうなるのかと考え自分で納得する答が出たときに、そのインテリジェンスには行動力がついてくるのです。これには行動力を伴う予測が生まれるのです。行動力というのは自分がそれに基づいて動けるということです。
ですからみなさん、是非時代を読むための力、「考える」ということを身に付けてください。時代を読むというのでインターネットで検索して結論だけ100個も200個も集めても行動力は生まれないのです。自分で考えるというプロセス、考えるということを是非身に付けていただければという感じがします。
 
以上がいただいた質問票なのですが、他に何かございますか? よろしいですか? 

これから2年目に入るということで、鬼澤君を中心にみなさんどんどん勉強していただいて、ぜひとも10年先に素晴らしい会社と言われるようになっていただければと思います。
その他にご質問がありましたら、私のホームページにメールが書ける所がありますので、送っていただければお答えできると思います。
それでは長い時間でありましたが、今日の私の話はこれで終りにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

(2001.7.13 水戸サンシャイン常陽にて開催)